2013年9月4日水曜日

差別化のジレンマ -差別化も行き過ぎると類似性に目が行く-

「過ぎたるはなお及ばざるが如し」というのは、ビジネスにおける商品やサービスの「差別化」についても言えるようです。感覚的にはまあそうだろうなというところですが、わかりやすくまとめられていた記事があったので簡単に引用して備忘的に考察。

引用するのは、ハーバード・ビジネススクール教授ヤンミ・ムン氏の著書『ビジネスで一番、大切なこと 消費者のこころを学ぶ授業』を紹介したDIAMOND ハーバード・ビジネス・レビューの記事。「棚に並ぶシリアルは、どれも同じに見える」とか「激しく競うほど、互いの違いは小さくなる」とか。

記事では、「差別化」について次のように述べられています。
企業は一丸となって競い合ってはいるが、意味のある違いを生み出すという使命を見失っているように見える。激しく競えば競うほど、互いの違いは小さくなり、精通したプロでなければ見分けがつかなくなる。要は、類似性ばかりが目につくのだ。消費者の心の中では製品の区別がつかず、まぜこぜになっている。
卑近な例で言うと、私も先日久々に食パンを買いに行くことになってスーパーでパンコーナーに立ったのですが、(普段自分で買わないのもあって)本当に違いがよくわからなくて暫し立ちつくし、結果普通な品質そうで一番安いものを選択したということがありました。コモディティだからと言ってしまえばそれまでなのですが、ポイントは食パンメーカーは差別化をしていないのではなくて、競合がお互いに差別化を検討しまくった結果、現状のような似たり寄ったりな状態になっているということです。

差別化をするということは、その分、差別化すべきポイント(つまり顧客が判断すべきポイント)が増えるということです。単純化しますと、食感で差別化できていたけど競合にキャッチアップされたから忙しい朝食シーンを想定して食べやすさで差別化しよう、おっとまた競合がキャッチアップしてきたから今度は健康をアピールできる成分で・・・というような感じで、次々と差別化ポイントが増える。

これは差別化ポイントが増えると同時に、キャッチアップされて同等になった類似点が増えてきているということを意味します。つまり、最初は差別化ポイントの方が目立っているのですが、次第に類似点が目立ってきて、合わせて差別化ポイントそのものの顧客から見た重要度が下がってくる(どうでもいいポイントで差別化するようになる)という現象です。

このような企業側からした目線に加え、ヤンミ・ムン氏は「プロは違いに注目するが、素人は類似点に目が行く」という表現を使って顧客側の目線でも差別化の罠を表現しています。テクニカルな差別化に走る企業側、それを見極められない顧客側、双方の理由から差別化が行き過ぎると類似性に目が行くというジレンマが説明できます。

じゃあどうすればいいのかという点、もしかしたらこのシリーズの続きで明らかにされるのかもしれませんが、差別化という文脈で言うと「顧客にとって意味があり、他社にはキャッチアップできない差別化要因を見い出す」ということに尽きるのではないかと思います。あまりにも当たり前すぎて、なんだそれは、なのですが、マーケティングの意味合いが矮小化され、手段としての「差別化」が目的にすり替わり独り歩きしていることも多いと思われる中で、本来の手段としての差別化の狙い(顧客にとって意味のある自社にしかできない価値を提供する)を改めて考える必要があるのではないでしょうか。

ただ、これ言うは易しで、しかも製品ライフサイクルの後期の段階でこれをやろうと思っても基本的には難しいのではないかと思います。製品を立ち上げる際に、コアの差別化要因として、そのような持続可能性の高い差別化要因を構築する必要があるということです。

では、既にある程度製品ライフサイクルが成熟の時期に差し掛かっていて、且つ競争環境が激しい場合はどうするか。これは「差別化」から「価値転換」へ戦略をシフトするしかないのではないでしょうか。既存のルールの中でしのぎを削るのではなく、新しいルールや枠組みを作るという転換です。例えば、パンで言えば、「栄養を取得するもの」から「忙しい朝をより充実したものにするもの」と価値自体を置き換える、あるいは、既存顧客とはニーズや利用シーンの異なる独居高齢者や老老世帯にとって価値のあるものを創出する、など。

私の今いる業界はBtoCではないのですが、それでも、差別化のジレンマ、競争市場での差別化の行き過ぎによる程度の低い価値訴求が割と蔓延してきていると感じていたところでしたので、ツラツラと書いてみました。

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