2013年8月9日金曜日

成果を決めるのは能力か意思か -意思は高めるものではないという仮説-

最近、成果を上げている人、そうでもない人、その違いは何かと考えることがあります。成果を上げるために必要なもの、大きく分けると「意思」と「能力」だと思っているのですが、成果を決めるのは、どちらかというと「意思」ではないか、というのが最近の感覚です。

■意思が成果を分ける
情報や訓練の機会が充実している昨今、ある程度のレベルの仕事をしている人たちの間で「能力」の差は実はあまりないのではというのが一つ。もちろんよっぽど特殊、専門的、あるいは経験(時間)が必要となる能力となると話は違うかもしれません。また、「能力」は低ければ高める方法は(その人にある程度のベースがあれば)ありますが、「意思」は周りが強制的に高めることはなかなか難しいのも理由です。

具体的に日常の業務で考えてみても、「今日やることはきちんと今日やる」というのが仕事のベースだとすると、これを「こなす」のは意思がなくとも能力だけで何とかなります。ただ、それでは誰でもできること(やるべきこと)です。

これが「今日やることの質を今日やれる中でギリギリまで高める(粘って粘って質を高める)」「今日やることはきちんと今日やるを毎日一日も欠けずに続ける(高い質をコツコツと積み上げ続ける)」「明日やっても済むことを今日やる(優先度は低いが重要度が高いものから目を逸らさずに取り組む)」ということになると、能力だけで何とかなる世界ではなくなります。ここには明らかに「意思」が必要です。そして、これが成果を分けるところではないでしょうか。

■意思を持って仕事をするためには、失敗に備える意思が必要
上述のように、質を高めるために「こなす」ことでは必要のないチャレンジをする、絶え間なく続けることで行動の総量が増える、放置しようと思えばできるものにあえて手を出す、ということをすると何が起こるかというと、失敗する可能性が高まるということが言えると思います。

「こなす」ことで済ませるということはすなわち、人は失敗のリスクを無意識に避けているのかもしれません。リスクに気付きながらもあえて「こなす」ことを超えようとするには「意思」が必要なのでしょう。そもそも失敗をリスクとするのかどうかですが、失敗することで人は学習し活動の修正をすることができますから、失敗をうまく活用すれば、これも結果としては成果を高めるということにつながっているとも言えます。

■意思を高めることは可能か
仮に意思が成果のために重要だとして、どうすれば意思の力が働くか。最初に意思を高めることが難しいと書きましたが、世の中、ソフト/ハードで意思を高めようとする施策が流行っているように思います。動機づけ、コミットメントなどといったワードが連想されますが、どのような対象に、どのようなきっかけで、高い動機を持ち力を注ごうとするのか、これは人によりけりです。

そもそも意思というのは自律的なものであり、仮に周囲に高められることがあったとして、それを意思と言うのかは疑問です。これは、以前『動機づけについての雑感 -内発的動機づけによる動機は内発的なのか-』というエントリで論じたことに重なります。そもそも周囲に意思を高めることができるのか。表面的には高まっているように見えても、中長期的に見ると外発的な圧力で人工的に高まった「意思」によって本来のその人固有の意思が押し殺され、逆に意思の希薄化が起こるのではないかとさえ思います。

■意思の発揮を阻害している要因はないか
私の不勉強で世の中的には有名なのかもしれませんが、最近「ハーズバーグの二要因理論」というものを知りました。本旨ではないので簡単に説明すると、人の仕事に対する満足度は、ある特定の要因が満たされると満足度が上がり、不足すると満足度が下がるという裏表の関係(例えば給料が高ければ満足、低ければ不満)ではなく、満足に関わる要因(動機付け要因)と不満足に関わる要因(衛生要因)は別のものであるとする考え方です。つまり、仕事にやりがいを感じているので満足しているが、給与的には不満、という状態があり得るので、それぞれ個別に手当をしないといけないという理論です。

動機付けという言葉が使われているので少しワードが混同して話をややこしくしているのですが、意思を発揮するという観点でも、二要因理論的な考え方は当てはまらないかと思ったのです。つまり、意思が低いから高めればいいという話ではなく、意思は本来あるがそれを別の観点から毀損している(発揮できなくしている)マイナス要因があるのではないかということです。それは上述したような失敗に対する回避的な意識かもしれませんし、重要度の高い仕事に取り組めないほどの優先度に偏った仕事の圧力かもしれません。

意思を高める施策というのは活況ですが、こういったマイナス要因を取り除いてあげることが必要なのかもしれません。何の根拠もないですが、現時点での雑感として。

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