2013年7月24日水曜日

誤診 -仮説という名の認知バイアス-

突然ですが、皆さんは誤診をされた経験はありますか?死亡するまで発覚しない無自覚なものが大半だと思いますが、死後に解剖を行った結果、1割以上が生前に行った診断は誤診であったという結果を発表した論文もある(3割以上という論文も。出自Wiki)そうです。これが多いと思うか少ないと思うかは人それぞれの感覚ですが、細かな診断違いやちゃんとした医師にかかれば原因がもっと早くにわかったのにという広義なものを含めると、もっと割合は高いのではないのかというのが実感です。

最近読んだ『医者は現場でどう考えるか』という書籍によると、そういった誤診等、医師のおかす診療上のエラーの大半は、技術や知識が原因ではなく、認知の問題が大きいそうです。つまり、知識がなかったからとか、診断する技術がなかったからとかではなく、事象の捉え方、解釈の仕方を誤るケースが大半ということです。著者いわく、誤診は医師の「思考が見える窓」だとか。

では、診療においては、どのようにしてその誤った認知や解釈が生まれるのか。

診療は大体、問診(今日はどうなさいましたか?から始まる一連の問答)の情報から始まります。検査をするもしないも、何の検査をするかも、どのような症状や傾向があるのかを患者から引き出し、どのような診断の仮説を作るのかも、全ては医師の患者への質問から始まります。

著者は、「医師の質問の仕方が患者の答えを構築する」と言っています。つまり、認知や解釈の問題がある、誤診がある場合、医師の持つ知識が正しくなく患者の答えに対する解釈が間違っているということよりも、そもそも間違った答えを引き出すような聞き方をしているということとです。一般的に、「質問すること」は相手の認知を試す(答える側がどう答えるかを試す)ことのように捉えられますが、そうではなく質問者自身の認知が試される行為であると解釈できます。

本書で著者が問題にしているのは、質問をする時点で一定のフレームに回答をはめてしまう認知バイアスです。患者に何かの症状を聞く、あるいは診断のヒントになるような日常の行動を聞く際に、「Xですか?Yですか?それともZですか?」と選択肢を規定した段階で、(それが正しければ良いですが)一定の認知バイアスがかかっており、本来であればもっと患者本位に立ち、ゼロベースであらゆる可能性を考慮したオープン質問を展開すべきと指摘します。(当然実務上、数分で患者を「処理」しないといけない実務上、全てのケースでゼロベースで診療をするというのは現実的ではないとは思います)

著者は下記のような認知バイアスを例に挙げて説明をしています。

・有用性/アベイラビリティのエラー:過去の類似した事例に照らして判断する傾向
・遂行志向バイアス:何もしないより何かしらアクションを取るたがる傾向(根拠が拾いきれていなくても何かしらの診断をつける等)
・探求の達成感:一度何かを発見すると、正しい診断を行うための探求をそこでやめてしまう傾向
・アンカリング:判断する際に、特定の情報をあまりにも重視する傾向

これを読んでいて思ったのは、仮説思考型問題解決の落とし穴についてです。仮説を持つということと認知バイアスに陥ることは紙一重で、仮説を持ちながらも予断なく情報を抽出し受け止めること、仮説というフレームにしっくりはまり込まない情報が出てきた時にそれを無視しないこと、仮説に対しては必ず検証がセットであることの重要性について認識を新たにしました。

翻って、ビジネスの現場でも、日々「診断」に近い作業をすることは多いと思います。例えば、営業の場での顧客とのやり取りを通してのビジネス判断、社内での議論におけるアイデアの選別、面接での候補者の選考、などなど。仮説を持って場に臨むことは重要ですが、認知バイアスのかかった状態で判断をしていないか、自身の質問の仕方が相手の返答や議論の方向性を誤って構築していないか、再度振り返ってみないといけないなと。誤診をしないように。

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