2012年7月12日木曜日

シンプリシティ(Simplicity)とは -シンプリシティはシンプルに非ず-


最近、生活をなるべくシンプルにしたい(ありたい)と思っていたり(年齢のせい?)、仕事でも、例えばサービスの企画にあたっていかにシンプルな仕掛け・機能で本質的なニーズを満たせるか、ということを気にしていたりします。

シンプルにすること(であること)。デザインやサービスのインプリメンテーションにおいては、シンプリシティ(Simplicity)という言葉でよく言われているように思います。

シンプリシティ(Simplicity)を英英辞書で引くと、下記のような記述があります。
the quality of being simple and not complicated, especially when this is attractive or useful:
(Longman オンライン版より)
つまり、シンプリシティとは、単純にシンプルである(簡単、簡素である)ということだけではなく、前提として魅力的であり実用的であるということです。ここは忘れやすい。(TO:自分)

これをサービスに置き換えて考えてみると、サービスが魅力的であり実用的であるということは、ユーザーの抱える課題を解決しニーズを満たすものであることを意味すると考えられます。シンプリシティを実現することがそんなに簡単でないことがわかります。

下記は、アップルのデザイン責任者Jonathan Iveがシンプリシティに関して答えたインタビュー記事。
"Our goal is to try to bring a calm and simplicity to what are incredibly complex problems so that you're not aware really of the solution, you're not aware of how hard the problem was that was eventually solved." 
"Simplicity is not the absence of clutter, that's a consequence of simplicity. Simplicity is somehow essentially describing the purpose and place of an object and product. The absence of clutter is just a clutter-free product. That's not simple." 
"The quest for simplicity has to pervade every part of the process. It really is fundamental."
Jonathan Ive interview: simplicity isn't simple より

皆がソリューションに気付いていなかったり、解くのが非常に難しい複雑な問題にシンプリシティをもたらすことがゴールである。そして、乱雑さが排除されている状態はシンプリシティの結果であり、それ自体がシンプリシティが意味するものではない。というような趣旨かと。

また少し畑の違うところで、小説家の村上春樹はこのように言っています。

"My goal is to use simple words to tell complicated stories."
非常に簡単な言葉で、非常に複雑な物語を語りたいというのが、僕の目指していることだ。
Japan's Murakami says metaphor more real after 9/11 より


シンプリシティは決して簡単なことではない、むしろ解釈が非常に難しいテーマであると、意識すればするほどそのように思います。

シンプリシティ実現の前提には、目的(複雑なことを伝える、複雑な問題を解決する等)が存在します。これが必要条件。その上で、その問題を解決するための最善の手段(十分条件)としてシンプルであることが求められると理解できます。(よりわかりやすく伝わる、より課題が解決しやすい)

あるいは、複雑な問題そのものにメスを入れる、つまり、よりメタレベルの問題に昇華させるあるいは問題を絞り込む、ということも手段としてのシンプリシティなのかも知れません。

いずれにしても、シンプルであることが必要条件として独り歩きする状況って結構あるな、それは本来とは違うなと。シンプルにしたからと言って、So What?なものって意外と多いように感じます。

最後に、シンプリシティに並々ならぬ拘りを持っていたであろうスティーブ・ジョブズの言葉。ハーバードビジネスレビュー2012年8月号『イノベーション実践論』の記事から(原典は未記載)
ある問題に着目した時に、『シンプルきわまりない』と思ったとしよう。この場合、問題の複雑さを本当に理解しているとはいえない。単純すぎる解決策しか生まれないだろう。問題に深くかかわってみると、実はとても入り組んでいたのだと気づく。それから、手の込んだ解決策のあれこれを考え出すのだ。 
真に偉大な人物は、前進を続けるだろう。そして問題の根底にある本質を掘り起こし、美しくエレガントで、しかも効果的な解決策を考えだす。

シンプリシティ(Simplicity)はシンプルに非ず。

2012年7月4日水曜日

小説を書くこととサービスを立ち上げることの共通点 -『雑文集』(村上春樹)より雑感-


最近、通勤途中とか休日のお茶する時とかに、ちょこちょこと村上春樹の『雑文集』を読んでいます。これ『雑文集』という名の通り、著者がどこかに寄稿したエッセーとか、誰かの本に書いた後書きとか、何かの受賞記念講演とか、ちょっとした雑文が集められたものです。非常に短い文章の集まりなので、細切れな時間とかボーっと流し読みたい時とかにすごく良い。もともと村上春樹のエッセーが好みというのもある。(小説より好きかも)

で、その一つ目の雑文を読んでいて、ふとあることを思ったのでメモ。まずは、『雑文集』より、幾つか引用。
小説家とは何か、と質問されたとき、僕はだいたいいつもこう答えることにしている。「小説家とは、多くを観察し、わずかしか判断を下さないことを生業とする人間です」と。
なぜ小説家は多くを観察しなくてはならないのか?多くの正しい観察のないところに多くの正しい描写はありえないからだ(中略)それでは、なぜわずかしか判断を下さないのか?最終的な判断を下すのは常に読者であって、作者ではないからだ。小説家の役割は、下すべき判断をもっとも魅惑的なかたちにして読者にそっと手渡すことにある。
良き物語を作るために小説家がなすべきことは、ごく簡単に言ってしまえば、結論を用意することではなく、仮説をただ丹念に積み重ねていくことだ。
読者はその仮説の集積を自分の中にとりあえずインテイクし、自分のオーダーに従ってもう一度個人的にわかりやすいかたちに並べ替える。その作業はほとんどの場合、自動的に、ほぼ無意識のうちにおこなわれる。僕が言う「判断」とは、つまりその個人的な並べ替え作業のことだ。
仮説の行方を決めるのは読者であり、作者ではない。物語とは風なのだ。揺らされるものがあって、初めて風は目に見えるものになる。

どうでしょうか。

この文章を読んで私が思ったことは、「良い作品を書く小説家と良いサービスを出す者、良い小説と良いサービスには、共通点があるのではないか」ということ。これはサービスだけではなく、製品にも言えることかも知れません。

もしかしたら、このブログでも取り上げている「人間中心のデザイン」(参考記事:人間中心のデザインの原則 -『誰のためのデザイン?』を読んで-)とか「アジャイル」(参考記事:ビジネスにもアジャイルという方法を -誤りや変化を歓迎する方法論-)とか、その辺のキーワードが頭にあるからかも知れません。

観察を重視し、ユーザーと一緒に作る感覚。ビジネスにおいて判断は流石にするんだけども、仮説の積み重ねでローンチし、ユーザーも巻き込んで判断・検証をしていく、つまりローンチがゴールではなく、そこがスタートである点。決して何も考えていないわけでも、ユーザーにおもねっているわけでもなく、そこには確固たる伝えたいメッセージや提供したい価値はある。なんだかすごく共通点がある気がします。

雑感ながら。


やれやれ。