2012年6月22日金曜日

目先・小手先の問題解決にフォーカスしていないか -『Good Product Manager, Bad Product Manager』より-

良い記事を読んだのでご紹介。

ネットスケープ・コミュニケーションズ社の元幹部で、アンドリーセン・ホロウィッツというGroupon/Facebook/Twitter/Foursquareといった名だたるテック企業に投資するVCの共同創業者であるBen Horowitz氏が、かつて(ネットスケープ時代?)書いた『Good Product Manager, Bad Product Manager』という記事。1996年のもののようだけど普遍的な内容のため一読の価値あり。

原文(英語/PDF)はこちらから。


以下、幾つか抜粋(日本語は意訳)。他にも色々なGood/Badの対比が原文にはあります。

・イケてるプロダクトマネジャー(以下、PM)は「What」をくっきり描き出す、ダメなPMは「How」に心頭する
Good product managers crisply define the target, the “what” (as opposed to the “how”) and manage the delivery of the “what”.
Bad product managers feel best about themselves when they figure out “how”.

・イケてるPMはインフォーマルに指示は出さないが、逆に情報収集はインフォーマルに行う
Good product managers don't give direction informally. Good product managers gather information informally.

・イケてるPMはレバレッジをかけられる作業をし、ダメなPMは一日中問い合わせ対応に追われる
Good product managers create collateral, FAQs, presentations, and white papers that can be leveraged.
Bad product managers complain that they spend all day answering questions for the sales force and are swamped. 

・イケてるPMは収益と顧客に、ダメなPMは競合が何をやっているかにチームをフォーカスさせる
Good product managers focus the team on revenue and customers.
Bad product managers focus team on how many features Microsoft is building.

・イケてるPMは問題を分解するが、ダメなPMは問題を一つにまとめる
Good product managers decompose problems.
Bad product managers combine all problems into one.


全般通じて、タイトルにも書いたように、忙しさにかまけて目先の(あるいは小手先の)問題解決にとらわれていないかというチェックリストになりそう。雑務がたまりにたまって肝心なことができない、火消しに追われているということは、何かが根本の部分で間違っている可能性がある。そんな時こそ、目的やゴールに改めて立ち返り、自身が近視眼的になっていないか、大局に立ってものごとを見ることができているか、自問自答する必要がありますね。

急がば回れ。日々の業務に埋もれそうになった時に立ち返る一つの材料として。

2012年6月19日火曜日

制約はイノベーションの母 -名詞ではなく、動詞で考える-


何か画期的なアイデアを出しましょう、これまでにない発想で考えましょう、といった場合に、よくやるのがまずはゼロベースで様々な規制・慣習やリソース(ヒト・カネ)の前提を「取っ払って」議論してみるというやり方です。確かに、本当にその前提は崩せないのか疑ってみる、発想が行き詰った時に一旦大きく考えを振ってみる、といったケースには非常に役立つやり方であると思います。

ただそれと実現性を無視することとは大きく異なります。実際の世界には制約が満ち溢れています。お金がない、時間がない、技術がない、資源がない、などなど。これは無視しようにも無視できません。(一定の工夫はできるでしょうが)

では、この「前提を取っ払って考える」ということの本質は何なのか。

■実際の世界は制約だらけ
実際の世界には制約が満ち溢れている、この代表例がBOP(ボトム・オブ・ピラミッド)の世界かと思います。このBOP市場にイノベーションが生まれえないのかというと、そんなことはありません。一昨年亡くなったC.K. プラハラード教授の著書『ネクスト・マーケット 「貧困層」を「顧客」に変える次世代ビジネス戦略』で、一躍BOP市場やそこでのイノベーションに注目が集まりましたが、制約をうまく活用(回避?)したアイデアや、場合によってはその制約があったからこそ先進国では発想できなかったようなイノベーションが生まれています。

このBOP市場における制約を超えるイノベーションの事例は下記の書籍に詳しかったです。ビジュアルも多くて読みやすい。

『なぜデザインが必要なのか――世界を変えるイノベーションの最前線』

『世界を変えるデザイン――ものづくりには夢がある』

一つ目の書籍に掲載されている事例はほぼこちらのサイト(英語)に網羅されているのでご参照ください。

■制約はイノベーションの母
ここで重要なのは、「制約があるからイノベーションが生まれる」のではなく、「制約があるからイノベーションを生む必要がある」という点ではないかと思います。つまり、待っていれば勝手にイノベーションが生まれるのではなく、制約を受け止めそこからプロアクティブにイノベーションを起こそうとしてこそイノベーションは生まれる、ということです。まあ当然のことではあるのですが。

この制約をうまくイノベーションに活かすという考え方、デザイン思考という文脈ですが、IDEOのCEOティム・ブラウンの著書『デザイン思考が世界を変える―イノベーションを導く新しい考え方』でも言及されています。
相反するさまざまな制約を喜んで(特に熱烈に)受け入れることこそ、デザイン思考の基本といえる。多くの場合、重要な制約を見分け、その評価の枠組みを制定するのが、デザインプロセスの最初の段階だ。制約は、成功するアイデアの三つの条件と照らし合わせると理解しやすい。それは、「技術的実現性」(現在またはそう遠くない将来、技術的に実現できるかどうか)、「経済的実現性」(持続可能なビジネス・モデルの一部になるかどうか)、「有用性」(人々にとって合理的で役立つかどうか)の三つだ。

■制約がある中でイノベーションを生むためには
ここで冒頭に言及した、「前提を取っ払って考える」ということの本質、に戻るのですが、制約の中から生み出すイノベーションにおいて非常に重要になることは、「視座を広げる」ということであると思います。これが「前提を取っ払って考える」ということの本質ではないかと。

「視座を広げる」という意味を理解するためには、『デザイン思考の道具箱―イノベーションを生む会社のつくり方』という書籍に紹介されていた下記の記述が良いヒントになると思います。
当時からIDEOは「名詞ではなく、動詞で考える」デザインを主張していた。モノそれ自体をデザインするのではなく、行動をデザインするという考え方だ。

「名詞ではなく、動詞で考える」とは、例えば、「冷蔵庫」ではなく「貯蔵する」で考えるということであると理解しています。モノそのものをどうするかではなく、そもそもの目的に立ち返って広い視座で問題そのものを考える。例えば、電気の通っていない(あるいは落ちがち)な地域に、ただ超低コストの冷蔵庫を持っていったところで成功するでしょうか。そこには冷蔵庫に代替する何かしらの貯蔵するもの(場合によってはコト、方法かも)が必要になるはずです。

書き終わって気付いたのですが、なんか書籍の紹介エントリみたいになってしまった。。制約が目の前にあった時、「前提を取っ払って考える」ということの本質を見失わない思考が必要だなー、ということでのエントリーでした。

2012年6月7日木曜日

エントロピーとイノベーション -『エコロジー的思考のすすめ―思考の技術』(立花隆)より雑感-


「エントロピー」という言葉をご存じでしょうか。本来は熱力学における用語ですが、平たく言うと(というか平たくしか理解していない、高校大学で習ったはずなんだけど。。)、「無秩序さの度合い」です。詳しくはこちら

先日、立花隆の処女作『エコロジー的思考のすすめ―思考の技術』を読み、この言葉に出会いました。若干脱線すると、本書は超良書。タイトルから想像されるようなHOWTOな内容では全くなく、生態学的ものの見方を組織や経済へも敷衍して論じる内容。初版1971年ですが、全く古くありませんし、当時30歳という立花隆の知の巨人ぶりに我が身を振り返らざるを得ません。

さて、今回はこの「エントロピー(無秩序さの度合い)」についての雑感。

このエントロピーには「エントロピー増大の法則」というものがあるそうです。自然にしかり、生活に当てはめてもしかり、放置しておくとものごとのエントロピーは増大していく(無秩序さが増す)という法則です。身の回りを見てみればわかるように、コーヒーにミルクを入れれば次第にコーヒー中に溶け出していきますし、水は放っておけば蒸発して水蒸気として霧散し、部屋は放っておくと汚く散らかります。

生物に当てはめると、人間が最もエントロピーが低い生物だそうです。また高度な情報ほどエントロピーが低い、つまり人間の文明史は情報のエントロピー減少の歴史であると言います。人間、あるいは人間社会の発展は、統制・管理・集積の歴史、とでも言えるのでしょうか。

では、エントロピーは低ければ低いほどいいのか、社会やものごとは秩序立っていれば秩序立っているほどいいのか。エントロピーが低いということの負の側面として、「適応力がない」「変化に弱い」という点が挙げられるそうです。温室育ちの人間がある日突然体育会系の営業会社に放り込まれた時のことを想像してみてください。

そう考えると、一概にエントロピーを減少させる方向にだけ進む進化を全面的に良しとして良いのか、という疑問が湧いてきます。方向性の決まっている、あるいは今あるものをより良くしていく、高度化していくという中では、エントロピーを減少させる方向での進化が重要。一方、何かドラスティックな変化を生む、ダイナミックな進化を求める、といった場合にはエントロピーを”意図的に”増大させることにも意味がありそうです。このエントリで紹介しましたが、IDEOのティム・ブラウンもデザイン思考の一つのポイントとして、divergence(発散)とconvergence(収束)を行ったり来たりすることの重要性を説いています。

さて、ここで問題なのは、エントロピーを意図的に増大させたい時に、「放って」おけばいいのか、ということ。興味深いのは、組織(あるいは社会・人)は往々にして、放っておくとエントロピーを増大させて無秩序になるどころか、逆に保守化、現状維持の方向にベクトルが向き、エントロピーが減少する(凝り固まる)方向に向かうという点です。まあ「放っておく」の意味合い次第なのですが。

やはりイノベーションを生むためには、”意図的に”無秩序・発散を生む仕掛けをしないといけないのではないか、ということが今回の学び。ただの雑感で全くまとまりがないのですが。