2012年2月26日日曜日

人間中心のデザインの原則 -『誰のためのデザイン?』を読んで-


皆さんは下記のような経験はありませんか?

  • ドアを開けたいんだけど、パッと見て押したらいいのか引いたらいいのか、はたまた横に滑るのかがわからない
  • 蛇口をどっちに倒したり捻れば水が出るのか、温水/冷水の切り替えはどうすればいいのかわからない
  • オフィスの入り口にある電源スイッチのどれを押せばどこの電気が点灯するのかわからない
  • リモコンでプロジェクターに投影されているスライドの進行をしたいのだけど、間違ってバックしたり変なメニューが表示されたりする

これは全てそのような誤りをしたユーザが悪いのではありません。デザインが悪いのです。受け売りですが。。

一つ前のブログに書いたように、ビジネスや問題解決の文脈におけるデザインの可能性について書籍などをあたりながら考えを深めています。その一環で読んだのがD.A.ノーマンの『誰のためのデザイン? 認知科学者のデザイン原論』です。1990年ごろの古い作品ですが、気付きを多く得られる良書です。


・デザインはどうあるべきか
本書では、心理学者、認知科学者である著者が、人の認知構造も踏まえながら、デザイン(主に製品デザイン)はどうあるべきで(何がダメなデザインで)、デザインの原理原則はどのようなものであるかを論じています。筆者が主張するのは「ユーザ(人間)中心のデザイン」。まずデザインはどうあるべきかというところについて、簡単に言うと下記の2点を確実に守ることであると言います。
  • ユーザが何をしたらよいかわかるようにしておくこと
  • 何が起きているのかをユーザにわかるようにしておくこと

もう少し分解して整理すると、デザインは下記のようにあるべきであると言います。
  • いついかなるときにも、その時点でどんな行為をすることができるのかを簡単にわかるようにしておくこと
  • 対象を目に見えるようにすること。システムの概念モデルや、他にはどんな行為を行うことができるか、そして、行為の結果なども目に見えるようにすること
  • システムの現在の状態を評価しやすくしておくこと
  • 意図とその実現に必要な行為の対応関係、行為とその結果起こることとの対応関係、目に見える情報とシステムの状態の解釈の対応関係などにおいて、自然な対応づけを尊重し、それに従うこと

本書は基本的に製品や狭義のシステムのデザインを念頭において書かれているように思いますが、上記は広義のシステム(例えば、医療システムのような社会システム)にも当てはまるような気がします。


・デザインの7原則
では、そのような課題に対してデザイナーはどのように取り組めばいいのか。著者はデザインの7つの原則として下記を挙げています。
  1. 外界にある知識と頭の中にある知識の両者を利用する
  2. 作業の構造を単純化する
  3. 対象を目に見えるようにして、実行のへだたりと評価のへだたりに橋をかける
  4. 対応づけを正しくする
  5. 自然の制約や人工的な制約などの制約の力を活用する
  6. エラーに備えたデザインをする
  7. 以上のすべてがうまくいかないときには標準化をする

少し具体的に一つずつ見ていきたいと思います。少し長くなります。

1. 外界にある知識と頭の中にある知識の両者を利用する
人は自身の頭の中にある知識が不正確であっても正確な行動をとることができます。例えば、PCのキーの配列を書けと言われても書けませんが、日々ブラインドタッチで仕事をしていたりします。これは逆に言うと、人間は全ての知識を頭に詰め込むことはできないということであり、その限られた情報量の中でいかに外界の情報を活用しうまくモノゴトを進められるようにデザインできるかということでしょう。

本書では、知識が不正確なものであっても正確な行動を行うことができる4つの理由を挙げています。どれも納得。これぞデザインの領域かと。
・情報は外界にある
ある課題を行うために必要な知識の多くは外界に存在しうる。行動は記憶にある情報と外界にある情報を組み合わせることによって決定される。 
・極度の精密さは必要でない
知識の精密さ、正確さ、完全さはめったに必要とされない。正しい選択肢を他のものから見極めるのに十分なだけの情報や行動を知識から引き出すことができさえすれば、完全な行動をすることができる。 
・自然な制約が存在する
外界の制約が許される行動を決める。どういう順序で部品を組み合わせるかとか、そのものがどのように動かされたり、つかまれたり、あるいはその他の操作をされたりするのかの可能な操作の範囲は、そのものの物理的な特徴によって制約される 
・文化的な制約が存在する
自然にある物理的な制約以外にも、社会的な行動として何がふさわしいものであるかを決めるためのさまざまな人工的な慣習が社会の中で発達してきた。これらの文化的な慣習は学習しなければならない。けれども、一度学んでしまえばさまざまな状況に適用することができる。

著者は、人は「ofの知識(事実についての知識)」と「howの知識(手続きについての知識)」という2種類の知識を使って活動していると言います。前者は文章にするのも容易だし、教えるの簡単。後者は意識下の暗黙知であり、言語化が難しくやってみせることによって教え、やってみることによって学ぶのが一番、という特徴をそれぞれ持っていると。

手続き=マニュアルではありません。現にPCキーの打ち方(並びの習得)をマニュアルを見て覚えた人がどれだけいるでしょうか。後者の「howの知識」については特に、外界の情報をうまく活用し、経験や学びを加速させる環境を作り上げるデザインの領域なのでしょう。

2. 作業の構造を単純化する

デザインの要諦として挙げられていた「ユーザが何をしたらよいかわかるようにする」という点に大きく関係するようになると思いますが、同じアウトカムや目的であるならば作業をシンプルにわかりやすくということかと思います。

作業の構造が単純でありユーザーが何をしたらよいか一目で分かるということ、Appleのデザインを一手に担うジョナサン・アイブも下記のように述べています。最新のCasa BRUTUSの「Appleは何をデザインしたのか!?」でのインタビューコメントです。
本当にシンプルなプロダクトというのは、 明瞭かつ秩序ある方法でそのものが何であり何に使われるものなのかを伝えてくれるものだと思います。 シンプルさは透明性をもたらし、透明性を持っていてこそ美しいのです。 シンプルであるということはとても難しい。 それは私たちにとっても終わりなき探求なのです。
私たちは、ほかの方法を取るのが不可能であり、完全に必然性があるといえる、本当にシンプルなプロダクトを作りたいと思っているのです。

さて、本書では技術を使った4つの簡単化について書かれていましたのでメモ。見た目のシンプルさもそうでしょうがユーザーの目線でその作業や行動をよりシンプルにしてあげるというコンセプトです。
  1. 作業は以前と同じままで、メンタルエイド(思考・記憶上の手助け)を利用できるようにする
  2. 技術を使ってこれまで目に見えなかったものを目に見えるようにし、その結果としてフィードバックや対象をコントロールする能力を向上させる
  3. 作業は以前と同じままで自動化を進める
  4. 作業の性質自体を変更する

3. 対象を目に見えるようにして、実行のへだたりと評価のへだたりに橋をかける
これは「可視性」という考え方で、人が操作するときに重要な部分は目に見えなくてはならない。また、それは適切なメッセージを伝えなくてはならない、という原則です。例えば、押してあけるドアならば、どこを押したらいいのかを自然に伝えるシグナルをデザイナーは提供しなくてはなりません。下の2つの写真を見て、どこを押したらよいかわかりやすいドアはどちらでしょうか。(ちょっと見えにくくてすみません。。)


「可視性」はそのものをどのように使うことができるかを決定する最も基礎的な特徴であり、著者はこの可視性が備わっており、特別意識しなくても自然に解釈されるデザインを「自然なデザイン」と呼んでいます。下記の言葉が象徴的です。
単純なものに絵やラベルや説明が必要であるとしたら、そのデザインは失敗

4. 対応づけを正しくする
これは、個人的には3の対象の可視性と区別が難しいと思っているのですが、あるものを見てこう操作したい(できそう)と思ったことがストレートにイメージどおりの操作としてできるか、何をしたらどのような変化や反応がありそうか一目でわかるか(実際にそうなるか)といったインプット/アウトプットの対応づけがうまくなされているかということです。筆者は対応付けのポイントとして下記の4つを挙げています。
  1. 意図とその時点でユーザが実行できる行為の関係
  2. ユーザの行為とそれがシステムにおよぼす影響の関係
  3. システムの実際の内部状態と目で見たり聞いたり感じとれたりするものの間の関係
  4. ユーザが知覚できるシステムの状態とユーザの欲求・意図・期待の関係

わかりやすい例が、プリウスのエンジン音だと思います。プリウスはエンジン音がかなり小さく無音に近いですが、あえてエンジン音を人工的に出すようにしていて、それによって無音が招く不慮の事故を回避するということをしています。これは「エンジン音がすれば車が来る」という人間の意識にある対応付けを実現している例かと思います。

他にも、例えば自転車のギアはどちらが前輪後輪でどっち側に押せばギアが上がるのか下がるのかわかりにくかったり、複数コンロの場合どのツマミを回せばどのコンロの火がつくのかわかりにくかったりというのも、この対応付けの問題に相当します。個人的には商業施設のトイレにある多目的ルーム、内側から閉じるボタンを押しても通常のドアのように鍵がかかった感がないので、いつも不安になるんですよね。。

5. 自然の制約や人工的な制約などの制約の力を活用する
デザインにおいては、やれることをいかにわかりやすく伝えるかだけではなく、やれないこと(制約)をいかにうまく活用するかということも重要になってきます。制約をうまく活用することで、その製品で本来してほしいことやれることを最大限にレバレッジすることが可能になります。例えば、ハサミの指を通す穴は二つあり(場合によっては大小があり)、他の指を当てる部分の窪みがあったりしますが、これもどのように持ってもらうことが一番ハサミを有効に使えるかを誘導する一つの制約であると言えます。

この制約について、筆者は大きく4つの制約がありうると述べています。
  1. 物理的な制約
  2. 意味的な制約
  3. 文化的な制約
  4. 論理的な制約

何かものごとを行う際に、これらの制約がどのように効いてくるかというわかりやすい例として、警察のオートバイのLEGOブロックを組み立てる際に、人はこれらの制約をどのように活用しているのかがありましたので、ご紹介。
1. 物理的な制約:
大きな突起は小さな穴に差し込めない。オートバイの風よけは、一つのところにそれも一定の向きにしかつけられない。 
2. 意味的な制約:
オートバイに乗る人は必ず前向き。風よけはその役割から乗り手の前。 
3. 文化的な制約:
赤いライトは普通後ろ、白や黄色はヘッドライトが普通なので前。 
4. 論理的な制約:
もう一つよく位置づけのよくわからない青いライトがあったとしても、論理的に残りの一つの枠にはまる。

6. エラーに備えたデザインをする
幾ら万全にデザインをしても、製品を多くのユーザーが使うとなると何かしらイレギュラーな使い方をされたり、思わぬエラーが起こったりするものです。そこまで想定した設計をするのがデザインであると言います。例えば、何かコピー機でコピーやスキャンをした時に原本を忘れるということをした人は多いでしょう。このエラーをどのように防ぐのかといったことまで含めてデザインであるということです。

エラーに備えたデザインをするとはどういうことか、4つのすべきことを抜粋します。
  1. エラーの原因を理解し、その原因が最も少なくなるようにデザインすること。
  2. 行為は元に戻すことができるようにすること。そうできないとしたら、元に戻せない操作はやりにくくしておくこと。
  3. 生じたエラーを発見しやすくすること。また、それは訂正しやすくしておくこと。
  4. エラーに対する態度を変えてみるべきだ。それを使っている人は作業をしようと試みているのであって、そのために不完全ながら目標に少しずつ近付いてきているのであると考えてみること。ユーザーがエラーを犯していると考えるべきではない。ユーザーの行動は望んでいることに少しでも近付こうとする試みであると考えること。

7. 以上のすべてがうまくいかないときには標準化をする
最後の手段として、ユーザーの行為やシステムの配置や表示を標準化し、国際的な標準を作成します。例えば、キーボードの配列、交通標識や信号、測定の単位(メートル等)、カレンダーといったようなイメージです。但し、標準としての合意を取るコストが大きくかかりますし、どの時点で標準化するかという点も問題となります。


・人間の行動やスタイルを導くことがデザイン
総じてみると、シンプルですが、ユーザーがその製品を一目見て何をしたら良いかわかること、何が起きてるかわかることが、デザインの根幹を担うということがわかります。マニュアルではなくデザインだけでその製品の全容がわかるということだと思います。筆者が主張するのは、「ユーザ(人間)中心のデザイン」です。

本書に一つの面白い例が紹介されていました。文章を書く方法が文章のスタイルにどう影響するかという話です。はるか昔、羊皮紙の上に羽ペンとインクで書いていたころには訂正が困難なので、事前に注意深く考えられ推敲が重ねられるため、できあがった文章は長くて修辞を尽くしたものであったと言います。これがより訂正が簡単な紙やペンが登場すると、文章作成もずっと手早くなされ十分に注意深く考えた上のものではなくなり、日常の会話により近いものになった。更にはPCでのタイプともなると思考の速さに記述がほぼ追いついていくことができるため、また違った文章のスタイルになってくるだろうということです。

このように、デザインや用いる技術によって良くも悪くも人間の生活のスタイルが変わります。人の行動やスタイルを導くことがデザイン、と言い換えることができるかもしれません。それだけに、一層「ユーザ(人間)中心」で考えることがいかに重要かということなのでしょう。

2012年2月23日木曜日

「神は細部に宿る」は正しく使おう -「言葉」の持つ誤ったことを正当化してしまう怖さ-


「神は細部に宿る」という言葉。出典は諸説あるそうですが、建築とかそっち方面の言葉のようです。

これ本来は、「大きな目的・ゴールの達成のためには、(その重要な構成要素・手段である場合)ディテールにも拘らないとその高次での達成は難しい」というような意味だと思っているのですが、なんだか細かくチェックすることただその行為を「神は細部に宿る」といった言葉で正当化するような場面に出くわすことがあります。

私は目的を外れた、あるいは外れていなくても他に目的達成に重要なことがある場合、細かくあることは逆に悪であるとも思っています。ということで、なぜ目的に外れた細かさの追求がされてしまうのか、考えてみました。下記のようなところが主だった要因かと思います。

・サイロに陥っている
サイロとは家畜の飼料や穀物などの貯蔵庫を意味し、「窓がなく周囲が見えない」ことから、外部との連携を持たずに自己中心的で孤立している様を表します。「木を見て森を見ず」と言ったほうがわかりやすいかもしれませんが、全体像が見えない中で何か一つのことに盲目になることは、優先順位を付けるということをできなくさせます。

・全てのものは有限という認識不足
時間、金、その他リソース、全て有限です。無限なのであれば幾らでも細かさを追求することは自由ですが、ことビジネスにおいては有限のリソースの中でいかに目的を達成するかが重要です。

・スピードという新たな質への理解の欠如
細かさを追求する人と議論をすると大抵「質」の話が出てきます。ただその質の議論は非常に一面的であって、昨今のビジネス環境においては「スピード」という新たな質の存在を忘れてはいけません。

・手段の目的化
これは過度の専門化が進んだ人や部門に良く見られる傾向かと思います。多分それをやっている人たちに職人としての誇りこそあれ悪気はないのでしょう。

・評価指標の取り違え
細かく何かを突きつめてやってみた・チェックしたということで、あたかも仕事をちゃんとやりましたというアピールをするケースです。プロセスを軽視するわけではありませんが、やはり仕事は第一に目的に対するアウトカムで評価されるべきです。

・限界効用逓減の法則への理解の欠如
「限界効用逓減の法則」をWikiから引用すると下記。細かさを追求したところで追求すればするほど「一細かさ」当たり得られる効用は逓減します、という話です。特にオペレーティブなことで細部に拘る人に、これへの理解のなさがあるような気がします。
一般的に、財の消費量が増えるにつれて、財の追加消費分(限界消費分)から得られる効用は次第に小さくなる、とする考え方。
(中略)
分りやすい具体例をひとつ挙げれば、普通、最初の1杯のビールはうまいが、2杯目は1杯目ほどうまくない、3杯目は2杯目ほどうまくない。このように1杯目、2杯目、3杯目となるほど、ビール(財)から得られるメリット(効用)は小さくなる。

・2:8の法則への理解の欠如
あまりにも一般的な言葉なので説明はしませんが、程度はあれ、これは仕事にも当てはまること。細かさに拘る以前に、大きな方向性は既に決着していることが多いです。

・クイック&ダーティーの考え方の欠如
クイック&ダーティーに高頻度で仮説検証を繰り返すという仕事の仕方への理解のなさです。なんの仮説もなく、とにかく細部に拘ってうんうん唸った挙句、成果物出してみたら目的とずれていましたということはよくある話です。


念のため言いますが「神は細部に宿る」という言葉は正しい理解においては、本当にその通りだと思います。ただ、言葉というのは人を動かす力を持つと同時に、誤った使い方をすると非常にミスリーディングで誤ったことも正当化してしまうような怖さも持ち合わせていますね、という話でした。まあ、時に人のことを言えない訳なので、自戒もこめて。

2012年2月20日月曜日

知の巨人の言葉 -『ウメサオタダオ展 -未来を探検する知の道具-』を観覧して-


先週末、日本科学未来館で開催されていた『ウメサオタダオ展 -未来を探検する知の道具-』に行ってきました。

梅棹忠夫氏(Wikipediaの解説)は民族学者であり、著書『文明の生態史観』に代表されるような独自の文明論を展開されていたことで有名です。また著書『知的生産の技術』に代表されるように「情報」「知的活動」についての方法論者としても有名で、「フィールドワーク」「京大式カード」「こざね法」といった手法を世に広められた方でもあります。残念ながら一昨年逝去されています。

展示の様子はこんな感じ。梅棹氏が実際にフィールドワークで書き溜めたノートの展示や、情報整理ツールの再現、そしてそこかしこに展示内容に関連する氏の言葉が紹介されています。




個人的には、梅棹氏の思想に初めて触れたのは『文明の生態史観』です。地理的な整理だけで東洋と西洋でものごとを論じるのではなく、文明の発達度という観点から世界を区分し、それぞれの地域毎に気候や民族特性、宗教特性、領土特性といった共通点を見出していきます。下記の整理が有名ですが、これを見てヌオッとなったのを覚えています。(説明が不十分なため読んだことある人にしかわからないと思いますが。。)


※『文明の生態史観』より

梅棹氏の全ての論考のベースになるのが、現地での人との交流や観察を中心とした綿密なフィールドワークと情報整理であり、そこから創造されるものは誰も気付かなかった視点から来る体系(システム)の整理です。このプロセスは、今私が興味を持っているデザインでキーワードになりそうな「人間中心」「システム(系)」といったところにも近いのです。(無理矢理?)

著作を読んでから時間が経っていたので、今回観覧に行き、梅棹氏の方法論や言葉に触れたことは良い刺激になりました。下記に備忘的に気に入った言葉のメモを記載しておきます。ちなみに、平仮名が多いのは私の変換忘れではなく、原文によるものです。話し言葉のような柔らかさがありますが、ここにも現地での対話を重要視し、対談の名手と言われた故人の意図が潜んでいそうです。

・全ての情報を記録し、つなげ、咀嚼する
梅棹氏は何でもノートに記録し、独自のござね法によって情報を整理します。全ての知的活動のベースは情報にあるということを再認識。

  • かれ(ダヴィンチ)の精神の偉大さと、かれがその手帳になんでもかきこむこととのあいだには、たしかに関係があると、わたしは理解したのである。(筆者注:自身があらゆることをノートに記録することについて)
  • 論理的につながっているものを、しだいにあつめてゆく。論理的にすじがとおるとおもわれる順序に、その一群の紙きれをならべてみる。そして、その端をかさねて、それをホッチキスでとめる。これで、ひとつの思想が定着したのである。(筆者注:こざね法について)
  • 情報というのはコンニャクのようなもので、情報活動というのは、コンニャクをたべる行為に似ています。コンニャクはたべてもなんの栄養にもならないけれど、たべればそれなりの味覚は感じられるし、満腹感もあるし、消化器官ははたらき、腸も蠕動運動をする。要するにこれをたべることによって、生命の充足はえられるではないか。情報も、それが存在すること自体が、生命活動の充足につながる。

・完成などない。「未知なるもの」へのあくなき探求
梅棹氏の全ての知的活動の原動力は「未知なるもの」への探究心です。未知の知というと聞こえは良いですが、知の巨人と呼ばれた人が虚心坦懐、謙虚に自分の足を使ってゼロベースでモノゴトの理解に努める姿勢は学ぶ部分が多い。

  • もともと、わたしにおいては、山の高さだけが問題ではない。いちばん大切なのは、インコグニチ(未知なるもの)ということ。デジデリアム・インコグニチ(未知への探求)、これが一番大事なことなんや。学問やってても、これは一貫している。未知のものと接したとき、つかんだときは、しびれるような喜びを感じる。わが生涯をつらぬいて、そういう未知への探求ということが、すべてや。こんなおもしろいことはない。
  • なんにもしらないことはよいことだ。自分の足であるき、自分の目でみて、その経験から、自由にかんがえを発展させることができるからだ。知識は、あるきながらえられる。あるきながら本をよみ、よみながらかんがえ、かんがえながらあるく。これは、いちばんよい勉強の方法だと、わたしはかんがえている。
  • 人生をあゆんでいくうえで、すべての経験は進歩の材料である。
  • ものごとは「完成した」とおもったらおしまいでございます。完成感覚をもったら、それは墓場の入口でございます。新陳代謝がとまれば、それは死でございます。博物館に完成はありません。

少し脱線しますが、私の今気になる人、デザインコンサルティング会社Zibaの濱口氏(@hideshione)がタイムリーに最近こんなツイートを。セレンディピティ。



・知的生産とは単なる情報処理ではなく創造活動
ここは最も言語化しにくいところではなかろうかと思いますが、最も肝要な部分であるのではないでしょうか。無から有を創る、inspirationから独創を生む、発見は突然やってくる、これらは方法論を学ぶというよりも実践を通じて会得するしかないのでしょう。

  • 知的生産は、かんたんにいえば、無から有をつくりだす仕事である。
  • 独創はinspirationである。独創をいかすもころすも、そのinspirationをとらえるか、にがすかにある。このささやかなノートも、ひとえにそのようなinspirationのreservoir(筆者注:貯水池、貯蔵庫)としての役目をはたせしめたいために、折にふれて記してゆくものにしたいのである。
  • 「発見」というものは、たいていまったく突然にやってくるものである。


・世の中はシステム
世の中のあらゆる事象は、大きく転換し、関連し合い不可分となり、全てを統合的に捉えるシステム(系)的な考え方が重要になると言及されています。(しかも大分前から)

  • 地球上の一部分でおこったできごとが、ただちに地球全体に波及するという点で、地球がひとつのシステムになりつつあるのです。
  • 世のなかはハードウェアからソフトウェアへ、物質から情報へ、そして経済から文化へとおおきく転換しはじめている。
  • 文化開発などという仕事は理念づくりだけではなんにもならない。人びとはしばしば、ハードウェアよりもソフトウェアだという。しかし頭で考えただけのソフトウェアは、たちまちにしてきえてしまうのである。それはやはり目にみえるハードウェアとしての装置と、それを運営する組織とをつくっておかなければならないのである。そのためには時間がかかる。


・まだまだ人間を理解できていない
これ「人間中心」ってことですよね。これもまたなんともvisionary。

  • 人類学は、おとなのがくもんであるとともに、おとなになるための学問である。
  • 二十一世紀の人類の生きかたにおもいをはせる。
  • 地球上で地図のない地方というのは、いまではほとんどのこっていない。地理的探検という意味では、現代はもはや探検の時代ではない。しかし、人類学的探検ということになると、それはまだはじまったばかりである。


・総じて
いや、なんとも一見簡潔で一度立ち止まって噛みしめないとスルーしてしまいそうな言葉でありながら、実際は含蓄に富む言葉たちだと思います。私は全般的に、自身の関心領域であるイノベーションとかデザインとかいう文脈で捉えましたが、皆さんはどのように捉えられるでしょうか。

最後に個人的に最も難解だと思った(と言うか未だに分からない)フレーズを。大いに悩んでみてください。

しかももっとおそろしいことは時間である。時間というものは、つぎからつぎへと際限なくわきでてくる。わたしはその時間のわくをなにかでうめることができない。ただその時間をそっと、過去におくりこむ努力をつづけるしかないのである。

2012年2月18日土曜日

「デザイン」に関する覚書き -ビジネスや問題解決の文脈におけるデザイン-


唐突ですが、(広義の)「デザイン」が最近気になっていて、特にビジネスや問題解決という文脈における「デザイン」の重要性が今後増してくる(きている?)のではと感覚的に思っています。なぜ、デザインがビジネスや問題解決において重要になると感じるのか。自分の中でもまだ上手く言語化できず、感覚的な域を脱しません。

勉強するにしても何か仮説や思考のきっかけとなるようなものがないと学びも進まないので、今バクと考えていることをメモ。

Why? :なぜ「デザイン」がビジネスや問題解決において重要になるのか?

ビジネスや問題解決という文脈におけるデザインということでは、この「デザイン思考」が最もよく聞かれる言葉かと思いますが、このデザイン思考が、なぜデザインが重要になるのかということの一つのヒントになりそうな気がしています。

過去にこんなポストを書きました。
分析と直感のハイブリッド -東京大学i.schoolシンポジウム『ビジネスデザイナーの時代-デザイン思考をどう実践するか』に参加して-

このデザイン思考という言葉、当時もうまく咀嚼しきれずやもやしながら書いていたことを覚えていますが、今もそのもやもやは残っています。これを腹に落としたいです。ハーバードビジネスレビュー2008年12月号の『人間中心のイノベーションへ IDEO:デザイン・シンキング』に少しヒントになるような記事があったのでメモ。デザイン・コンサルティング会社IDEOのCEOティム・ブラウンの記事。冒頭のみであれば、ここで読めます。

以下、抜粋して引用します。
トーマス・A・エジソンは、白熱電球を発明し、ここから一つの産業を築き上げた。それゆえ多くの人たちが、エジソンの代表的な発明として、まず電球を挙げる。しかし、電球が電球として機能するには電力システムが不可欠である。このシステムがなければ、電球は一種の見世物にすぎない。この点を理解していたからこそ、エジソンは必要なシステム全体を創出したのである。したがって、エジソンが天才たるゆえんは、ここの発明品だけでなく、完全に発達した市場までも思い描ける想像力にあった。彼は、人々が自分の発明品をどのように使いたいと思うのかを想像できたからこそ、これを実現しえたのである。(中略)彼はユーザーのニーズや嗜好を必ず検討した。エジソンのアプローチは、イノベーション活動の全領域に渡って、人間中心のデザインの真髄を吹き込むアプローチ、いわゆる「デザイン思考」の初期の例といえる。
ここで、デザイン思考のアプローチを定義しておこう。「「人々が生活の中で何を欲し、何を必要とするか」「製造、包装、マーケティング、販売およびアフター・サービスの方法について、人々が何を好み、何を嫌うのか」、これら二項目について、直接観察し、徹底的に理解し、それによってイノベーションに活力を与えること」
ダニエル・ピンクはその著書『ハイ・コンセプト』のなかで、次のように述べている。「豊かさのおかげで、多くの人の物理的ニーズは過剰なまでに満たされた。それによって、美しさや感情面を重視する傾向が強まり、何らかの意味をいっそう求めるようになった」基本的なニーズが満たされた現在、感情面での満足、しかるべき意味と洗練さを備えた経験への期待が高まっている。しかし製品だけでは、このような経験は生み出しえない。製品やサービス、そして場、情報などが複雑に組み合わさったものであるはずだ。たとえば、教育を受ける方法、娯楽を楽しみ方法、健康を維持する方法、共有して伝え合う方法が、これに該当する。デザイン思考は、このような経験を思い描くと同時に、それらに望ましいかたちを与えるツールでもある。
(前略)これらの問題すべてに共通しているのは、その中心にいるのは人間であるということである。したがって、最善のアイデアと究極の解決策を見出すには、人間中心で、創造的でしつこく繰り返す、実用的なアプローチが必要である。そのようなアプローチこそ、イノベーションにデザイン思考を生かすことにほかならない。

わかったようなわからないようなというのが正直なところ。キーワードは「人間中心」「感情・経験」「システム(系)」です。「なぜデザインがビジネスや問題解決において重要になるのか」という背景には、日常の生活レベル(消費行動等)から国家・世界レベル(社会問題解決等)に至るまで、これらのキーワードの重要性が増してきているというところにありそうです。


What? :そもそも「デザイン」とは?

ここで言うデザインはいわゆる「意匠」に限定したものではありません。まだ上手く言語化できないのですが、より広義に、「ものごとのシステム(系)全体について、ビジョン・ゴール、道筋(戦略・戦術)、そこに関わる人の活動や感情・経験まで全てを統合的に設計し計画する」という意味合いを持つような感覚です。

そもそも、デザイン(design)の語源は、「計画を記号に表す」というラテン語「designare」だそうです。ちなみに下記がデザインの定義だそうで。(注意:孫引きです)

designの語源のラテン語designareは、de+signであり(deは,from, out of, descended from, derived from, concerning, because of, according to, in imitation of, などの意味)、 記号を表出する行為、表出された記号自体、対象や意味を明確に示す行為、他との境界を限定して形状をはっきり示す行為、対象や意味に相当する代理物を用意すること、複写や記述、表示する要素の選択、 特定の対象や意味に他者の注意を向ける作為、感覚器官で捉えられうる刺激の集合によって対象や意味を代替えする行為、をさす。
『記号学大事典』

「単純なものに絵やラベルや説明が必要であるとしたら、そのデザインは失敗」という一節が、最近読んだ『誰のためのデザイン? 認知科学者のデザイン原論』(D・A・ノーマン)にありました。上述の定義に絡めて考えると、デザインという万国共通言語による記号化で全てを表現しつくし、人々の特定の行動を導くことが求められるということかと思います。

これはあくまでも製品やサービスについての言及ではありますが、もしかするとこれは広義のシステム(系)にも当てはまるのかも知れません。つまり、システムをデザインするということにおいて、「計画を記号に表す」というように、シンプルでユニバーサルなシステムに仕立てるということは重要なチェックポイントであるのかも知れません。


What for? :「デザイン」の先には「イノベーション」がある?

デザインはあくまでも手段であり、その先に求める効用やアウトカム、ゴールがあるはずです。それは何なのか。
デザインというキーワードで書籍を探したり、人に話を聞いたりすると、「イノベーション」というキーワードにぶつかります。これがなぜなのか、ということを考えることは、デザインの効用やアウトカムを考える上で意義があるように思います。

イノベーションとは、既存と新規、破壊と創造、線形と非線形、シーズとニーズといった相反する事柄の統合でありハイブリッドであると捉えることができます。また、企業や組織が継続的なイノベーションを創出するためには、相反する事柄を上手くマネジしながら、ヒト・モノ・カネ・情報を調整するシステム(系)としての仕掛けが重要になります。そう考えると、上述のデザインの定義に符合してくるような気がします。また、昨今の消費者やパートナーを巻き込んだオープンイノベーションの流れも、システム(系)の範囲の拡大といった観点でデザインの重要性を増す流れになりそうです。


By whom? :「デザイン」は右脳的な仕事なのか?

デザインという話をすると、クリエイティブという言葉との連想によって、「右脳的な仕事でしょ?」とか「ビジネスサイドの仕事ではないよね?」といった反応があるように思います。私もかつてはその口。果たして、デザインは限られた右脳的タレントにしかできない仕事や技なのでしょうか。論理⇔感情、分析⇔直感、左脳⇔右脳、といった2項対立の整理の枠の中で、デザインをそのどちらかにはめ込んで整理するのは安直な発想なのかも知れません。

現時点では、デザインとは上述の2項対立を超えた下記のようなものという仮説を持っています。こう考えると必ずしも右脳的な仕事とは言えない気がします。デザインとは誰が(どのようなスキルを持った人が)担うのか。ここも理解を深めたいポイントです。

  • 分析と直感のハイブリッドがデザイン?
  • 非論理的なこと(感情、経験等)を論理的に説明するのがデザイン?
  • ビジネスの設計図(戦略、モデル等)そのものがデザイン?



How? :「デザイン」の方法論とは?

これは色々なフレームワークがあるでしょうし、目的に応じて適切なものを選択していくということになるのでしょう。王道的なものは一通り押さえておきたいところです。


結論のない、まとまりのない内容になってしまいましたが、こんなことを念頭に置きながら理解を進めていきたいと思います。

2012年2月16日木曜日

製薬業界における「破壊的イノベーション」 -新薬メーカーのジェネリック医薬品への新たな対抗策-


『イノベーションのジレンマ』で紹介されている有名な「破壊的イノベーション」という考え方があります。ここより定義の引用します。
競争市場では一般に製品は技術進化を続け、新製品になるごとに性能を向上させていく。そうした中で既存製品に比べて性能が低いながら、低価格・単純・小型・使い勝手がよいなどの特徴を持ち、既存市場の顧客とは別の顧客から支持される技術革新が行われることがある。これが破壊的イノベーションである。

製薬業界におけるこれに近い事例が、ジェネリック(後発)医薬品(以下、GE)です。割と一般的になってきているので説明は不要かも知れませんが、特許の切れた医薬品(新薬)と基本的には同じ有効成分で他の製薬企業が製造あるいは供給する医薬品のことを指し、ほぼ同等の効果ながら薬価は安く押さえられている点が特徴です。

このGEに関して、面白い流れがニュースになっていました。(会員でないと見られない記事ですが。。)

国内初「オーソライズドGE」誕生へ 日医工サノフィ 「アレグラ」係争中の裏側で独占的に承認取得

これ簡単に要約すると、下記のような内容です。

  • 日医工サノフィ・アベンティスというGEメーカーが「オーソライズド・ジェネリック」を発売(承認取得)
  • 「オーソライズド・ジェネリック」とは、対象とする新薬にかかる特許が切れていない中で、特許保有企業自ら(および関連企業)がGEを上市すること(今回、特許保有企業は親会社のサノフィ・アベンティス)
  • 狙いは、特許有効期間中に他のGEメーカーに先んじて市場に製品を投入することで参入障壁を高くし先行者利益を得ること


医薬品業界は他の業界のように自由市場ではないので、一定の統制(特許期間や薬価等)の中での価格破壊にはなり、且つ日本ではGEの普及が他の先進国に比べて進んでいないと言われていますが、それでも医療費抑制に絡んだ政府の後押し等もあり、徐々に普及は進んできています。

ジェネリック医薬品の国内シェアの年次別推移(過去5年間)


数量:出荷数量
金額:薬価ベース
日本ジェネリック製薬協会調べ

蛇足ですが、アリセプトという認知症治療薬のGEには30社以上ものメーカーが参入するという過当競争な市場でもあります(ソース)。上記のニュースは、そんなGEメーカーの参入をにらんだ打ち手であると理解できます。

通常、新薬メーカーとGEメーカーは基本別プレイヤー(企業)ではあるのですが、最近は新薬メーカーを親会社に持つGEメーカーが増加中です。ただ、子会社を通じて、あえて新薬とのカニバリ(共食い)を承知の上でGEを投入するにしても、これまでは新薬の特許が切れた後でということが通常でした。他の業界でも、例えばハイエンドの市場でIT機器を提供していた企業が、後発メーカーの参入に対抗すべく中小企業セグメントへ対応した機器を発売したりという事例はありますが、新薬とGEで基本的にターゲットセグメント(直接顧客の医師にしても、エンド顧客の患者にしても)は変わりませんから、その点で特殊であると言えます。

更には、今回の記事のケースで言うと、自社新薬の市場が特許規制によって守られている中で、あえてカニバリを起こすGEを自ら投入するということですから、なおのこと特殊であると言えます。加えて、GEが発売されることによって、オリジナルの新薬の薬価が引き下げられる薬価の仕組みもリスクです。これを踏まえてもあえてGEを自ら投入するというところに今回の戦略の面白さがあります。

どのような業界においても、既存事業者が新興企業あるいは新機軸のバリューにいかに対抗しうるか、自らの既存価値の否定(意図的な忘却)を行いイノベーションを創出するか、ということは非常に重要なテーマです。加えて、規制等の特殊な業界事情のある製薬業界で、今後どのような展開が繰り広げられるのか注目したいと思います。

2012年2月10日金曜日

DIY(Do It Yourself)の流れが定性リサーチにも -「GutCheck」というサービスを例に-


以前、DIYリサーチ(クライアントがリサーチ会社を通さず自らオンラインでアンケート質問を登録し、消費者にダイレクトにアプローチできるサービス)の流れということで、下記のような記事をエントリしました。

BtoBにおける「DIY(Do It Yourself)」の事例 -DIYリサーチに考える-
「DIY(Do It Yourself)」への賛否 -DIYリサーチに考える(追補)-

上記でご紹介したのは、定量調査のDIY版でしたが、どうやら定性調査のDIY版(オンライン)もあるようです。(知りませんでしたが、有名ですか?)

何がその領域でメジャーなサービスなのかは知らないのですが、その一つが「GutCheck」です。ホームページを参考に、下記に概要を書き出してみました。

・サービス概要(やれること)
基本的にはDIYの定性リサーチがオンライン上で可能なサービス。事前のスクリーニング質問で絞られた対象者に対してチャットを活用して1回30分のチャットインタビューを行えるとのこと。

・4つの価値
1. FIND YOUR AUDIENCE
しっかりとした回答をするとスクリーンされた600万人のパネル。「高血圧のアジア系米国人SE」のようなセグメンテーションも可能とのこと。

2. WE UNDERSTAND BUDGETS ARE TIGHT
30分のインタビューが40ドルから。これまでのフォーカスグループインタビュー等では一人当たり500ドル以上というのが相場であり、かなりリーズナブルとのこと。

3. STOP WAITING TO START YOUR PROJECTS
何かを検証したい時、デッドラインが迫っているとき、「その日」と言わずに「今」インタビューができる。やりたいと思ったその時にやれるという価値。

4. QUALITATIVE RESEARCH ON YOUR TERMS
回答者が2人であろうと40人であろうと、時間が朝であろうと夜であろうと、セルフであろうとフルサービスであろうと、やりたいようにやれるという価値。

・想定顧客・ユースケース
想定顧客は大きく消費財メーカーと中間事業者であるエージェントを想定しているようです。
ユースケースとしては、コンセプトやメッセージ・広告等の各種クリエイティブのちょっとしたテストをメインに想定しているようです。ブレストを行うにあたってのアイデアをもらうというような使い方もあるとのこと。

①消費財メーカー
・Concept Testing
・Advertising Testing
・Product Development
・Ideation
・Package Design Testing
・Messaging Testing
・Web Testing

②エージェント会社(マーケ会社、広告代理店等)
・New Business Pitches
・Advertising Storyboard Testing
・Creative Concept Testing
・Package Design Testing
・Messaging Testing


・利用の3つのステップ
下記のステップで、ユーザーがセルフでWeb上にて設定・実施を進めていきます。

Step 1: Identify Your Audience:対象者を特定する
デモグラフィック等のベースクライテリアとカスタムの質問を通して、インタビュー対象者を特定する

Step 2: Create Your Questions:質問を作りチャットインタビューする
プリセットされた基本的な質問とフリーで追加できる質問をセットし、チャットベースでインタビュー(30分)を行う

Step 3: Review the Results:結果を見る
30分のインタビューが終われば、PDFの議事録が自動で生成されるので、確認や共有を行う


下記の紹介動画で流れはイメージできます。



・CEOのインタビューより市場環境や展望
『The CEO Series: An Interview With Matt Warta of GutCheck』にCEOのインタビューが掲載されています。ポイントを書き出しておきます。

  • まだ定性オンラインリサーチはキャズムで言うと「アーリーアダプター」のフェーズ
  • オンラインで実施される定性調査はまだ全体の15%のみ
  • 定量調査で、オンラインを一度でも体験すればその迅速さとお手ごろさから利用が進んだ流れは、定性調査でも来ると予想
  • 昨年あたりからビッグブランドとのディスカッションが増えており、幾つかの定性はオンラインに移行中(2年前にはなかったこと)
  • 2011年にローンチしてから、既に100以上の消費財クライアントと多くのエージェント会社の利用あり
  • 従来のマーケティングリサーチ市場は「サービス・ベース」(労働集約的)だったが、「テクノロジー・ベース」になってきたのでスケールすることが可能に(CEOは元テック系ベンチャーキャピタリスト)
  • Instant Research Communities (IRC)というより広義の定性リサーチコミュニティを検討中で、その中で色々な調査の可能性(モバイル、ゲーミフィケーション、ビデオ等)を探る予定


以上が、大まかなサービスの中身、および展望です。どうでしょうか。

できそうなこと、できなさそうなことがあるように思いますが、事業会社(クライアント)が直接消費者にサクッと手軽に声を聞きたいという需要はありそうです。

例えば、フォーカスグループをする際、これまでは基本的にはリサーチ会社に依頼しリアルの世界で実施されるのが通例かと思います。幾つか課題もあるようで、マジックミラー越しにインタビューの様子を見ながら「あれ聞きたい」「これ今確認したい」といったことがクライアントに出てきた場合、即時にその時の文脈の中で聞くことは当然できませんし、メモを入れても聞くタイミングを逃したり、流れ上入れ込むことができなかったりということが発生してしまう、というケースがあるように聞きます。あるいはクライアントの意図を上手くリサーチ会社のファシリテーターが汲み取れずに見当違いの文脈で聞いてしまう、ということもあるかもしれません。より直接的に文脈のわかるプロダクト担当が温度感のある消費者の声を聞き洞察する意味は大きそうです。

一方で、短時間のテキストベースのやり取りで、どれだけのコミュニケーションの深堀りが可能かというところは少し疑問ではあります。さらに、ユースケースとして書かれていたProduct Development(製品開発)、Ideation(アイデア創造)といったところについては、何か工夫が入らないとちょっと。。

いずれにしても、定性面でもこのような直接的な消費者とのコミュニケーションの手段が出てきたことは、事業会社(クライアント)、リサーチ会社双方にとって重要なニュースなのではないかと思います。

2012年2月7日火曜日

ハッカーウェイによってリサーチのあり方が変わる? -Facebookから株主に向けたレターを読んでの雑感-

先日FacebookのIPO申請がなされたとの報道があり、私のTwitterのTLやブログのフィードにも関連記事が大量に流れ込みました。私もご他聞に漏れず、野次馬根性丸出しで、その企業価値算定額やザッカーバーグ氏の株式資産の超絶的な金額に驚き、「いや、私もそれだけの資産があれば報酬1ドルでも・・・」といったありふれたリアクションを取ってしまいました。

さて、今回のIPO申請に合わせて、ザッカーバーグ氏から(将来的な)株主に向けたレターが発行されており、こちらも日英ともに全文が公開されています。
・英語全文:
Zuckerberg to Potential Shareholders: Facebook Is on a Social Mission(Mashable)
・日本語全文:
企業文化は「ハッカーウエー」、速く・大胆に・オープンであれ フェイスブック上場へ、ザッカーバーグCEO「株主への手紙」 (日経電子版)

レターの中で多くの部分を割いて書かれているのは、上場の理由や事業戦略というよりも、Facebookの大切にする価値観や今後のソーシャルのあり方といった部分です。以下に、その中心となる「ハッカーウエー」という考え方について述べられている部分を引用します。
(前略)私たちは「ハッカーウエー」と呼ぶ独自の文化と経営手法を育んできました。

「ハッカー」という言葉はメディアでは、コンピューターに侵入する人びととして不当に否定的な意味でとらえられています。しかし本当は、ハッキングは単に何かを素早く作ったり、可能な範囲を試したりといった意味しかありません。他の多くのことと同様に、よい意味でも悪い意味でも使われますが、これまでに私が会ったハッカーの圧倒的多数は、世界に前向きなインパクトを与えたいと考えている、理想主義者でした。

ハッカーウエーとは、継続的な改善や繰り返しに近づくための方法なのです。ハッカーは常に改善が可能で、あらゆるものは未完成だと考えています。彼らはしばしば、「不可能だ」と言って現状に満足している人びとの壁に阻まれますが、それでも問題があればそれを直したいと考えるものなのです。

ハッカーは長期にわたって最良とされるサービスを作るために、一度にすべてを完成させるのではなく、サービスを機敏に世に出し学びながら改良することを繰り返します。こうした考え方に基づき、私たちはフェイスブックを試すことができる何千通りもの仕組みを作りました。壁には「素早い実行は完璧に勝る」と書き記し、このことを肝に銘じています。

ハッキングはまた、本質的に自ら手を動かし続けることを意味します。何日もかけて「新しいアイデアは実現可能か」「最良の方法は何か」を議論するよりも、ハッカーはまず試作品を作り、どうなるかを観察します。フェイスブックのオフィスでは「コードは議論に勝る」というハッカーのマントラ(呪文)をしょっちゅう耳にするはずです。

ハッカーの文化は、非常にオープンで実力主義重視です。ハッカーは、最も優れたアイデアやその実行が、常に勝つべきだと考えています。陳情がうまかったり、多くの人を管理している人ではありません。
出典:フェイスブック上場へ、ザッカーバーグCEO「株主への手紙」 (日経電子版)より

上記は、企業と顧客(消費者)の関係や商品・サービス作りの今後を示すだけでなく、これまで企業と顧客の間に入り顧客の声を仲介していたマーケティング会社やリサーチ会社のあり方にも一つの問題提起をしているように思います。例えば、企業と消費者の変化に対して、下記のような疑問が生じてきます。リサーチ会社は外部プロフェッショナルとしてどのような答えを出せるのでしょうか。

スピードを重視

インサイダーでなくて、このスピード感の中でクライアント企業の事業やサービスをキャッチアップできるのか?
調査を企画してから報告書があがるまで1ヶ月とか到底待てないのでは?


何回も検証・修正を繰り返す(1回で結論を出さない)

小規模な改善活動の繰り返しになる。1回当たりの案件規模が縮小し、調査を繰り返すリソースのみがかかることで、案件が非効率化しペイしなくなるのでは?

アクションを重要視(「素早い実行は完璧に勝る」「コードは議論に勝る」)

良くも悪くも第三者として情報の提供に終始することに対して、価値を見出してもらえるのか?(コモディティ化していくのではないか)

直接世の中(消費者)の声を聞く

クライアント企業に、間に外部企業をはさむ必要性が薄れるのではないか?

中央管理的ではない(オープンである)

クライアント企業内でいわゆる「リサーチ部門」の機能が縮小あるいはなくなることもあるのでは?(ラインが各々顧客に対峙する)

当然ながら、例えばマーケットの定量的な把握のような調査は依然として外部プロフェッショナルの牙城であり続けるのだと思いますが、より「顧客の声」に近い部分については自前化の動き(更には企業内でもリサーチ部門ではなくライン部門へのリサーチ機能の移行)が進むような気がしてなりません。以前エントリした(その①その②)ように、DIY(Do It Yourself)リサーチという手段も充実してきています。また、消費者を組織化し、アプリやWebサービスのβ版テストを行う環境を提供する事業者もあるようで、ハッカーウェイの文脈における調査会社の代替となってくるのかもしれません。

このような価値観がソフトウェアやインターネットの世界を超えて、消費財や自動車といった「モノ」にも波及していくのかどうかも気になりますね。

2012年2月1日水曜日

先物市場やリサーチに基づく未来予測 -少数の能力より多様性を重視するクラウドの考え方-

未来は予測できるのか?

過去から様々な人や機関がチャレンジし続けているが、決定的な方法論が存在しない命題の一つではないかと思います。人は大なり小なり未来を予測していて、「明日自分がランチに何を食べるのか」ということもある種の予測ですし(ほぼ意思に近いですが外的要因で結果が左右されることはありえるという意味で)、企業も毎期・毎月何かしらの因子を特定し売上・利益等の業績見通しを予測します。

未来の予測が難しいのは、未来が無数の影響因子によって構成され、その全てを潰すことが難しいためであり、また、大半の未来には人間の行為が関係する、つまり人間という社会的生き物の「感情の動き」や「ホンネ/タテマエ」といった定量化できない要素を考慮する必要があるためであると個人的には思います。

最近見た『Whatever next?』という記事に、この未来の予測に関する内容がありましたので、内容を引用しながら、なぜ未来予測が難しいのかということについて、あるいは今後の未来予測がどのようになっていくのかについて書いてみたいと思います。

・全知全能の人はいない
記事によると、かの有名な発明家トーマス・エジソンは下記のようなことを言っていたといいます。
“We are already on the verge of discovering the secret of transmuting metals… before long it will be an easy matter to convert a truck load of iron bars into as many bars of virgin gold.”
(我々は既に錬金術の秘密を発見しようとしている。近い将来、鉄のかたまりを純金の延べ棒にすることは簡単なことになるだろう。)

現代の科学を持ってしてもそのようなことは不可能な訳ですが、当時エジソンは大真面目に言ったのでしょう。
また、心理学者のフィリップ・テトロックが、20年間に渡り、将来起きうるイベントについての2万8千もの質問を様々な領域における284人の専門家に投げかけ、実際の結果との比較を行う実験を行い、専門家の予測能力は槍投げをするチンパンジーレベル(要は的に当たらないという意かと)だと結論付けたそうです。

時には断片的に未来を正確に予測する識者もいるのでしょうが、総じて未来を予測するために必要となる全ての影響因子を考慮できる全知全能の人はいないと思われ、心理学者のダニエル・カーネマンが言うように、“We knew as a general fact that our predictions were little better than random guesses"(予測は当てずっぽうよりも多少当たるくらい)なのだと思います。

・集団(群集)の声を聞けばよいかというとそうでもない

それでは、限られた識者に聞くことでまかなえないのであれば、より多くの人の声を集めれば事足りるのでしょうか。その代表的な手段の一つがマーケットリサーチになるかと思いますが、これは果たしてクライアント企業が未来に触れることを助けることに繋がるのか、それとも同じくチンパンジーの槍投げなのでしょうか。

記事では、新製品の失敗の多さを取り上げ、リサーチ(多くの声の回収)が未来を予測できるのであれば成功する新製品を世に送り出せるはずというところから、できて失敗の確率を減らすことくらいと書かれています。当然リサーチを起点として成功した新製品という例外もあるかと思いますし、リサーチ一発で成功ということではなく、トライアル&エラー(仮説検証)を繰り返すことで正確な未来に近付くということを前提にしているということもあるかと思います。

ただ、いわゆるこれまでのリサーチというものは、定量/定性問わず非常にスタティック(静的)なものであるため「変化」を十分に捉えることが難しく、程度の差はあれ外的な影響を全く受けない「ホンネ」や裏にある「感情」を引き出すことが難しく、また集められる声の「数」にも限界があったように思います。予測する未来を人の行為が構成する以上、これらのことを満たせない限り十分な未来の予測は難しいのかも知れません。

・明日の自分のランチよりも、世の中で明日何がランチに最も選ばれるか予測する方が当たる?
未来の予測において、リサーチが限界に直面する一方で、"wisdom of crowds"(クラウドの知恵)という考え方が出てきています。
※このあたりは『クラウドソーシング』という書籍に詳しいです

"wisdom of crowds"とは何か。記事によると、一言で言うと下記のようなことになります。
This is the idea that the predictions of everyone in a group about what the group as a whole will do are better than the predictions of each individual about what they themselves will do.
(ある集団の全員で集団全体としてどうするかを予測する方が、個々人がそれぞれ自身がどうするかを予測するよりも、より良い予測となりうる)

つまり、よくアンケートにあるように、「あなたはこの商品を買いますか?」とか「この商品をどう思いますか?」といったことを個々人に聞き、結果を集計するのではなく、「この商品は売れるかどうか?」ということを集団に予測してもらうという手法です。具体的には、製品の売上や選挙の行方を先物市場の取引に見立てて売り買いしてもらうという手法が実験的に行われているようです。「美人投票」にも近い考え方かもしれません。(少し説明がわかりにくいかも知れないので、Wikiの解説にリンクしておきます)

例)
選挙結果の予測市場:The Iowa Electronic Markets
※ちなみに米共和党大統領候補選挙についても、ロムニー候補の人気が依然として高いと予想が出ているようです。果たして当たるのかどうか。

記事中に、"you can predict what other people will have for lunch tomorrow better than you can for yourself "(他の人々が明日ランチで何を食べるか予測する方が、自身が明日何を食べるかを予測するよりも上手くいく)とあったのですが、面白い表現だなと感じました。つまり、明日の自分のランチは豚のしょうが焼き定食だという予測よりも、東京のサラリーマンが明日最も多くランチに選ぶのはラーメンだと予測する方が当たる可能性が高いということです。

・集団(群集)の声を聞く方法にも進化はある
リサーチの限界について上記しましたが、手法の進化によってその欠点をカバーするものも出てきています。過去のエントリでも取り上げているので詳述は避けますが、ソーシャルメディアリスニングやビッグデータといったところがそれに該当します。クラウドの原則的な考え方である「多様性はある一人の際立った能力に勝る」(言い換えると多様性は代表性に勝る?)に通じます。これらによって現行のリサーチの問題点である「変化」「ホンネ」「感情」「数」といったところをカバーできる可能性があり、これらを活用した未来予測(比較的近い未来かも知れませんが)に期待が膨らむところです。

実際に、ソーシャルメディアのつぶやきをベースにした選挙結果予測や投資信託運用といったところも実験されているようですので、ご参考までに。

例)
ソーシャルメディアをベースにした選挙結果予測:Tweetminster
ソーシャルメディアをベースにした株式市場予測:株式市場変動の予測(ホットリンク)