2011年12月27日火曜日

「短期記憶」をとらまえることでマーケティングは変わる -スーパーでの買い物を例にした思考実験-

最近知ったのですが、記憶には、長い期間、量もほぼ無限にストックできる「長期記憶」と、短い期間に限定され、量も有限という「短期記憶」の2つがあるそうです。感覚的にも確かにそうだなと思うところはありますが、短期記憶の量的な限界は7±2くらいだそうで、これを「マジカル・ナンバー7±2」というらしいです。今回はマーケティングにおける短期記憶を拾うことの意味について考えてみたいと思います。

・消費行動における記憶とは

消費行動における長期記憶とは、ブランドや製品に対する認知・イメージ、継続的に利用している製品・サービスの選択理由、消費者の価値観、そういった時間が経ってもあまり変化のない普遍的なものであり、ある程度漠とした抽象的な印象が主となります。

一方で、消費行動における短期記憶とは、何か商品を手に取った瞬間の選択理由、広告・宣伝を目にしたときの印象、商品を使用した直後の感覚(使用感)といった、時間が経つと記憶が薄れる、あるいはその時のシチュエーションや気分によって内容が左右される、非常に具体的で刹那的な印象が主となります。

・これまで「短期記憶」を拾うことは難しかった

当然ながら、マーケティングにおいて、消費者から短期記憶についてフィードバックを得ることは、非常に重要なインプットになり得ます。これまで、この短期記憶について企業がうまく消費者からフィードバックを得る方法は限定的なものであったように思います。

世の中にある定量調査・定性調査の多くは、記憶のうちの長期記憶を対象にしたものと言われます。確かに、商品を手に取った瞬間の選択理由、広告・宣伝を目にしたときの印象といったことを事後的にアンケートやヒアリングで聞くことはできますが、それが本当に「その時」の消費者の気持ちや印象であったかというと甚だ怪しいものです。また、調査会社(あるいは調査会社)を介したアンケートやヒアリングでは、調査側の解釈や限定あるいは誘導、消費者側の配慮(多分こう答えて欲しいんだろうな)がどうしても入ります。

厳密に短期記憶を取得するという意味では、POSデータ、店員がその場で客から受ける直接的なフィードバック、客が主体的に企業に訴えてくる感謝の声やクレーム、といったところが限界だったのではないでしょうか。

・スーパーでの買い物を例に「短期記憶」の重要性を考えてみる


スーパーでの買い物を例にして、今企業が把握できていることと把握できていないことを考えてみます。(私は業界に詳しくないので、もしかしたらこのうちの一部は既に把握できているのかもしれません)

■今把握できていること
  • 誰が買ったか(男女・年代等の限定的な属性のみ) ※会員カード等を持っている場合はその限りではない
  • 何を買ったか
  • いつ・どこで買ったか
  • なぜその商品を買ったか(曖昧な記憶レベル)

■今把握できていないこと
  • 誰が買ったか(属性を超えた詳細なプロファイル)
  • どういう状況で買ったか(週1回の定期的な買い物?仕事帰り?醤油を切らして?友人との家飲みで?)
  • なぜその商品を買ったか
  • 何と比較したか、なぜその商品に決めたか
  • 迷ったけど買わなかったものは何か、なぜか
  • どのような順にカゴに入れたか
  • 陳列、ポップ、売り場配置、照明、店員等への印象・評価 等々

こう考えると、マーケティングにおいて非常に重要な項目が、短期記憶で構成されており、いまだに十分に把握しきれていないことがわかります。

・消費者の「短期記憶」(あるいは行動そのもの)を拾う手段の出現

技術の進化によって、短期記憶を拾う手段が幾つか出てきています。消費者本人にアンケート等で聞き出すことで記憶を拾うだけではなく、よりファクトベースに消費者の行動そのものを追える技術も多いように思います。

・モバイル
スマートフォンに代表されるように、どこでもオンラインになる環境が整ったことで、リアルタイムに消費者に質問を投げかけたりフィードバックをもらったりすることができるように。購買や広告への接触の直後に(ほぼリアルタイムに)アンケートすることも可能。

・ソーシャルメディア(Twitter等)
消費者が何かを購入したり見たりしたその場で意見や感想を主体的に表現することができるように。一方通行ではなく、消費者間や消費者・企業間の意見や感想のやり取りも可能。

・生活動線の見える化技術(GPS、加速度センサー等)
消費者の位置情報や動くスピード(要は、どんな交通手段で動いているか)を把握できるので、生活・消費の動線をリアルタイムに見える化できる。

・消費瞬間の行動認識技術(顔認識、アイトラッキング、モーションセンサー等)
消費者の棚を見る目の動きや、商品を手に取るときの動き(躊躇してるとか、棚戻すとか)がわかるように。(知りませんが)顔認識とサーモセンサーとか絡めれば感情とかもわかるのかな。

・商品の動きを追う技術(RFID等)

棚から取られた、カゴに入れられた、一度手に取られまた棚に戻された等の商品の動きを追うことが可能に。これは直接的に消費者の短期記憶・行動を追うものではないですが、消費者の属性と紐付けることでそれを補うことが可能。

・こんなことができたらマーケティングは進化する(かも)

上述したような技術たちを活用すれば、今まで把握できなかった消費者の行動や思考のパターンが見えてくるのではないでしょうか。稚拙なアイデアではありますが、スーパーを例にとっても、下記のようなことも夢ではない(と言うか既にやられている?)ですね。

  • GPSや加速度センサーを利用し、店に来るまでの動線や立ち寄りポイント、交通手段等から買い物の目的や経緯を把握
  • 棚やPOPにQRコードがあり、読み込むとモバイルアンケートにつながる。店での陳列や内装、キャンペーン等の感想や評価をもらう
  • カートにGPSをつけ、動線や買い物パターンを把握
  • POSとアンケートを連動し、買い物直後に数点の商品について購買要因を把握
  • 顔認識・アイトラッキングで商品選択に迷った過程や棚への視点の持っていき方を把握
  • 商品をカートに入れる際にセンサーとRFIDで商品の判別を行い、レジ待ち中にでもアンケートで数点の商品について購買理由等を確認
  • 事前の買い物メモ(アプリ?)と実際の購買商品の差異から衝動買いの構造を把握 
  • 3つくらいの項目について良かった/悪かったを答えるための評価ボタンをレジに設置
  • 商品使用中/使用後に答えられる数問のモバイルアンケート、Twitter等での感想の投稿 等々

他にもやり方は幾つもあると思います。当然少なからぬ投資が伴うことばかりなので、どのような出口(打ち手、成果)がありうるのかを十分に検討すべきかとは思いますが、このように短期記憶(あるいは行動)をとらまえることができれば、大きくマーケティングは変わるのではないかと思います。こういう実験的なことやってみたいな~。

2011年12月25日日曜日

ゆく年/くる年のマーケティングリサーチは? -『Research in 2012: new methods, stronger structures and less PowerPoint』より-

これからの時期、各業界において2011年の振り返りと2012年の展望が続々と出てくる時期なのかと思いますが、マーケティングやマーケティングリサーチの業界においてもぼちぼちとそのような記事が出てまいりました。今回読んだのは、米国のテクノロジー関連調査会社のForrester Researchから『Research in 2012: new methods, stronger structures and less PowerPoint』というレポート(正確にはそのAbstract)です。
(どうでもいいですが、この手のレポートってなんでこんなに高いんでしょう。満足しなかったらリファンドするとは言え、499ドルって・・・)

Abstractの要約ってのも変な話ではあるのですが、自分の中での整理のためにも、マーケティングリサーチにおける2011年の振り返りと2012年の展望をメモ(かなり意訳)。

2011年の振り返り

・「ソーシャル」なリサーチは盛り上がるもそこまで伸びず

ソーシャルなツールやソーシャルメディアのリサーチ目的での利用への関心が増し、特にMROCs(market research online communities)が特に関心を引いた。ただし、実際にこのような手段を用いてマーケットの声を抽出するという取り組みはそこまで伸びなかった。

・ROI(投資対効果)へのプレッシャーが増加
経済の状況もあいまって、マーケットインサイト(平たく言うと調査)の経営への貢献(成果)をより見える化すべきという圧力が高まっている。2011年の早い段階で調査ものの1/3でエグゼクティブへの説明が求められるような状況だったが、2012年には半分以上でそのような状況になるだろうと。クライアント企業のKPIの改善への寄与、および投資対効果の視点で厳しく貢献度合いが問われる。

・新しい方法論への興味は限定的
ゲーミフィケーション、予測市場、アイトラッキング、モバイルリサーチといった革新的な技術・方法論について、取り組んだ企業は業界問わず限定的だった。幾つかのベンダー企業(供給者)は積極的にその展開を推進しており、ベンダードリブンの展開は続くと予想。

・ビッグデータをどのように扱えばいいのかわからず
企業が利用可能な多岐にわたるデータ(いわゆるビッグデータ)を意味ある活用につなげることがマーケターにとって大きなチャレンジとなっており、ベンダー(供給者)サイドではツールの拡張やM&Aを積極的に展開。一方で、クライアントサイドはまだそこまでの関心を示さず。ただし、その重要性からも、ここ数年で関心は高まる見込み。


2012年の展望(のうち幾つか)

・モバイルリサーチが(ようやく)本格導入
これまで期待されながら、期待以下の導入スピードだったモバイルリサーチの導入がようやくクライアントサイドで進みそう。同時に、適切なモバイルリサーチについての方法論やマルチプラットフォーム/デバイスでのリサーチマネジメントについてのあり方に対する議論が起こる。

・情報サプライチェーンの最適化
マーケティングリサーチの世界で多くのインタビューやプロジェクトが実施され複雑化が進むにつれて、リサーチを担当する者のコア業務はレポートを書くことではなく、情報サプライチェーンの最適化に移行する。それに伴い、多くの組織で情報や調査結果のフローを効率的にマネジし、タイムリーに情報にアクセスできるように模索が進む。その中で、複数のベンダーや情報ソースを跨いだ分析を通じた価値創出が起こり、外部事業者にもベンダーではなくパートナーとしての役割が求められるようになる。

・リサーチアウトプットの変化への要求の高まり

世の中が、静的で一次元のデータではなく、双方向的でより視覚的で刺激的なグラフィックで構成されてきている中で、パワーポイントのチャートは飽きられるだろう。リサーチ以外の部門では、より視覚的でユニークな形式で情報を提示するようになってきており、リサーチについてもその期待は高まる一方。外部リサーチベンダーにも、例えばデザイナーやデザイン会社への依頼を行うような、先駆的な取り組みが求められる。


2012年の展望について、これらを、タイムライン、品質、洞察の深さ、革新性をバランスして進めること、それだけではなく自前主義で進めず、コスト低減を行いながら進めることが求められていると書かれています。うーん、難しい。

個人的には「情報サプライチェーンの最適化」というところが本質的なポイントではないかと思います。手段は色々、データは色々、でもそれをいかに統合してうまく経営や事業展開に活用するか。パワポを数十枚も納めながら数枚(場合によってはゼロ枚)しか採用されない外部リサーチベンダー、いちいち手直しのリワークを求められるクライアント側担当者、どちらも不幸じゃないですか。「オンデマンド」と言われて久しいですが、これが本当の意味で実現されていくことが期待されます。

2011年12月23日金曜日

「ネクスト」プラクティス -故C.K.プラハラード教授のコラムより-

ベスト・プラクティス。業界を語る時、何か新しい製品・サービスについて考える時など、必ずこのワードを出す人が周りにもいるのではないでしょうか。コンサルタントが好む言葉の一つです。
最も効果的、効率的な実践の方法。または最優良の事例のこと。
ビジネスや経営においては、世界で最も優れていると考えられる業務プロセス、業務推進の方法、ビジネスノウハウのことをいう。
(『@IT 情報マネジメント』より)

ベスト・プラクティスという考え方は、業界におけるキャッチアップや競争優位を考えるためのベンチマークとしての活用といった、特定の目的においては有用ですが、万能ではないということはビジネス界に共通の認識だろうと思います。
特に業界のリーダーを目指す、何か革新的なことを創造する、といった目的には不向きであるように思います。

また、ビジネスの展開や新陳代謝が非常に早い昨今では、現在のベスト・プラクティスが(極端ですが)明日には陳腐化してしまうというケースもあるように思います。

これに対して、業界でのリーダーとなること、あるいはイノベーションの創造を目的とした時に必要となってくるのが、将来のベスト・プラクティスである「ネクスト」プラクティスです。
私の知る限りで、この考え方のオリジナルは2010年に亡くなった故C.K.プラハラード教授(ミシガン大学ビジネススクール)です。積読(つんどく)にしていた、ハーバード・ビジネス・レビュー2011年11月号をパラパラとめくっていたところ、プラハラード教授のネクスト・プラクティスに関するコラムが掲載されていたので、少し引用します。

ちなみに、英文の記事もこちら(Column: Best Practices Get You Only So Far)にあります。
・企業は、業界ナンバーワン企業のベスト・プラクティスに特に注目し、それを実践しようとする。
(中略)
これで競合他社と肩を並べることはできるかもしれない。しかし、それだけでは市場リーダーになれないだろう。私がこの20年間、CEOたちに説いてきたように、企業が勝ち組となるには、大きなチャンスを見出した上で、将来のベスト・プラクティスになる「ネクスト・プラクティス」を考案することである。

・ネクスト・プラクティスの着想は、ひとえにイノベーションにある。すなわち、将来像を思い描き、到来するであろう大きなチャンスを見極めて、それに投資できる能力を構築することである。

・大半の経営幹部は、画期的なチャンスの発見は難しいと思い込んでいる。なかには実に明白なチャンスも存在するが、ピーター・ドラッカーは、かつて、最高のチャンスは「目に触れても認識されない」と語っている。

・(前略)イノベーションのチャンスととらえるよりは、むしろ問題として扱うことに執着する。

・ネクスト・プラクティスをつくり上げる方法を見つければ、多くのチャンスがある。実際のところ、経営幹部を束縛している要因は、資源不足ではなく、想像力不足なのだ。

これって、企業のビジネス展開においてのみならず、個人のキャリアや投資についてもまったく同じことが言えますね。流行ってきたからやれソーシャルだ、やれグローバルだと右往左往するのではなく、目に触れているけど認識できていない機会をしっかりと見極め、行く先を定めることが重要ですね、と自戒。確かに、ものごとを問題と捉えるのかチャンスと捉えるのかという点で、認識できるものやその見え方は大きく違ってきそうです。

ちなみに、私はこのC.K.プラハラード教授の著作が好きで何回か読んでいますがお勧めです。特に有名なのが下記の2つですね。こう見ると教授の視点は常に過去ではなく未来に向いています。

コア・コンピタンス経営―未来への競争戦略
ネクスト・マーケット 「貧困層」を「顧客」に変える次世代ビジネス戦略

2011年12月21日水曜日

従来型サーベイは消えるのか -『No Surveys in 18 years!』より-

先日、DIYリサーチについて2つのエントリ(1つ目2つ目)で、DIYリサーチは調査会社や企業の調査部門に閉じていたマーケティング・リサーチの門戸を広くユーザー企業全体(あるいは個人)に広げるものとして、面白い動きだと書きました。

そんなエントリを書いたのもつかの間、『No Surveys in 18 years!』という、より刺激的な記事に目がとまりました。以前、マーケティングリサーチの12の新しい潮流について取り上げたエントリで引用したRay Poynter氏のブログです。

短い記事なので原文を読んでもらうのが早いと思うのですが、抄訳で論点をメモします。

*******************************抄訳はじまり*******************************
サーベイはこの18年でなくなる。(2年前に20年でなくなるとした考えから変化なし)
なくなるとする理由は下記。
  • 「長い」「退屈」で形容される現在の多くのサーベイが、改善される気配がない。むしろブランドモニタリングやCSサーベイ等にいたってはより悪化してきており、回答者の協力率も低下している
  • 伝統的なサーベイは遅くて、高くて、クライアントニーズからすると洞察が浅い
  • 関心の焦点が、「実際の会話」に移ってきている

かと言って、ソーシャル・リスニング/モニタリングが既存のサーベイに取って代わるとも考えていない。
サーベイとの置き換えが起こるのは下記の2つ。(あえて原文の言葉のままで)
  • Single questions
  • Discussions

そのベースになるのはコミュニティ・パネルとアクセス・パネル。
  • コミュニティ・パネル:一つのブランドやトピックに関連付けられたコミュニティとしてのパネル
  • アクセス・パネル:料金を払えば誰もが都度利用できるパネル
この2つには、膨大な量の情報、観察データ、サーベイデータ、トランザクションデータ、ソーシャルメディアデータが蓄積される。
この中で何か新しい知見を得ようとした場合に利用されるのは、モバイルからも答えられるような1つか2つのシンプルな質問(Single questions)。恐らく自由記述が多くなるだろう。
人々が何を考え、何を知っているかを窺い知る、より自然な方法はディスカッション(Discussions)。ソーシャルメディアにおいて質問を投げかけたり会話の輪を作り上げたりするような動きが生まれる。

ただし、サーベイも幾つかの形式では残る。
コミュニティ・パネルに属さない人に対する社会調査、心理学的な調査、5,6問くらいでモバイルで答えられるミニ調査など。
ただし、2011年現在主流の20問~40問のチェックボックスやグリッド形式を多用した調査はなくなるだろう。
*******************************抄訳おわり*******************************


Ray Poynter氏は上記にあるコミュニティ・パネルというものを推進している人のようなので、やや偏った意見になるのかもしれませんが、DIYのような「シンプルに、コスト安く、より早く」というところは方向性として似ています。あとは、「会話」といった部分や「データ解析」といったところが既存のサーベイには難しい、新しい価値軸なのですかね。いずれにしても、マーケティングリサーチには進化・変化が求められていることは間違いないように思います。

2011年12月17日土曜日

「DIY(Do It Yourself)」への賛否 -DIYリサーチに考える(追補)-

前回のエントリ(BtoBにおける「DIY(Do It Yourself)」の事例 -DIYリサーチに考える-)で、マーケティング・リサーチ(以下、MR)におけるDIYの流れを取り上げました。

前回のエントリから今日までの間に、DIYリサーチサービス提供企業のSurveyMonkeyによる競合買収のニュース(SurveyMonkey Acquires MarketTools’ Zoomerang, ZoomPanel, and TrueSample via TPG Capital)もあり、海外では早くも次の展開を見せているようです。

前回は詳細に立ち入りませんでしたが、このDIYリサーチには直感的にも功と罪があるということをお感じになられる方も多いのではないかと思います。リサーチ業界でも肯定派/否定派両方の意見が存在するようです。

ここでは、前回も紹介した下記のような出典をもとに、両者の言い分を整理してみたいと思います。

■下記出典が紹介されていた記事
Stop Calling It "DIY Research"

■肯定的記事
Why DIY marketing research is good for our industry
Why DIY Research is Good for Everyone

■否定的記事
5 Dangers of DIY Research
D-I-Y Market Research: Worse than no research at all?


肯定派/否定派の言い分

まずは、肯定派の言い分。
  • 顧客の声を集めるための、手段・選択肢が増える
  • 早まる事業展開に対応すべく、すばやく(今すぐ)データを入手できる
  • ローコストで顧客の声を集めることができる
  • (敷居が低くなり)よりデータ/ファクト・ドリブンの意思決定が根付く
  • マーケティング・リサーチ(以下、MR)がリサーチ部門の専売特許ではなくなり、全社的にカスタマーインサイトの重要性が根付く
  • 結果として、より本格的なリサーチにおいて、リサーチ業界への還流が期待できる
  • 「プロ」よりも簡潔でシンプルな調査が可能(プロが実施する調査の(不必要なほどの)複雑化)

次に、否定派の言い分。
  • サンプル(回答者群)が限定的であり、正確な意思決定に足るデータを集められるものではない
  • 質問や選択肢を目的に沿って適切なものにする方法論が利用する企業に不足している
  • 目的と明確にリンクしない不完全な調査が横行する
  • 適切な回答を得るためのアンケートインターフェースの構築ができない
  • 素人が作ったわずらわしいアンケートが大量に押し寄せ、消費者が回答する意欲をなくす(回答率が下がる)

個人的な所感 DIYは積極的に支持したい

どちらの言い分にも一理あるとは思いますが、否定派の言い分は若干弱いのではないかと思います。と言うのも、どれもリサーチを実施する人間の(DIY)リサーチ経験が不足することによるものが多く、「時間の問題」「改善が期待されるレベル」ではないかと思うからです。多くが技術・知識の問題であり、フレームワーク・システムを用意すれば最低限のレベルには改善されるものではないかと思います。また、クライアントとリサーチ会社間の人の行き来も増えてきている現状で、内製化しうる人材レベルになってきているとも思います。

それ以上に、メリットの方が大きいでしょう。コスト面・効用面での選択肢が広がることは当然ながら、リサーチの本来の目的を考えますと、「MRがリサーチ部門の専売特許ではなくなる」という点が重要であるように思います。顧客の声を拾うのはリサーチが全てではないですが、企業が口だけではなく顧客視点に一歩でも近付くための重要な手段になるのではないでしょうか。上述の『Why DIY Research is Good for Everyone』にある下記の記述に激しく共感です。
Seth Godin is often quoted as saying, “marketing is too important to be left to the marketing department.” DIY research activity tells us, “market research is too important to be controlled only by a market research department.”

既存のMRには答えるべき問いがある

また、DIYの欠点(未発達な点)がある一方で、既存のMRにも当然ながら欠点はあるように思います。例えば下記のような点にリサーチ会社は答える必要があるのではないでしょうか。
  • より複雑でスピーディーな事業展開をするクライアントの事業や業界構造を、本当に外部にいてキャッチアップできるのか
  • 温度計が温度を変えるじゃないが、調査対象と調査主の間に第三者が入ることで事象の解釈のズレや種々のラグが生じるのではないか
  • 大量のペーパーが納品されるものの結果意思決定に使われるのは1枚2枚(場合によってはクライアントが作り直し)
  • 目的を忘れがち、複雑で長い調査票を作るのはむしろ外部プロではないか 等々

DIY 今後の課題

DIYの今後の課題として3つほど思いつくものを列挙してみます。

1つ目は、サンプルの問題です。現在は自社の(何かしらアプローチする手段のある)顧客が主な回答者候補になるはずであり、例えば既存の顧客以外に対する調査等には不十分なサンプルであることは確かです。ただ、ジャストシステムのFastaskは既存リサーチ企業のパネルと連携しているらしく、その点は解消されていそうです。

2つ目は中立性という観点です。上記の記事にはなかったように思いますが、「中立性」というものは外部プロの価値かもしれません。ただ、既存の調査業務の中でクライアントにおもねるような設計や示唆出しを行っていない限りにおいてですが。

3つ目は、コストの観点です。上記にローコストで顧客の声を集められると書きましたが、それはあくまでも調査一回にかかるコストのこと。COPQ(Cost Of Poor Quality)という考え方があるらしいのですが、品質が低い場合に発生しうる追加コストによって、結局トータルのコストが過剰にかかってしまうという現象が起こりえます。例えば、旅客産業のように安全がマストな業界ですと一つの不具合が発見されれば全点検が行われるのですが、このような「やり直し」はDIYリサーチにおいても当初大いに想定されます。これも習熟によっていずれ解決される問題だとは思いますが、企業にとってこれを学習への投資と捉えられるのかどうかという点はポイントなのかもしれません。


個人的には前回/今回のエントリに書いたようにDIYの流れが加速することに賛成ではあるのですが、さてどのようになりますでしょうか。

2011年12月12日月曜日

BtoBにおける「DIY(Do It Yourself)」の事例 -DIYリサーチに考える-

ファストフード、日曜大工、ガソリンスタンド・・・。様々な業種やサービスで「DIY(Do It Yourself)」「セルフ」といったコンセプトは当たり前のこととして広く浸透しています。

このDIYの考え方は、最初はBtoC(消費者向け事業)で広く普及したように思いますが、昨今ではBtoB(事業者向け事業)の世界にもその波は広がってきているように思います。BtoBにおけるDIYは、言い換えると「内製化」と言えるかもしれません。

内製化の要因は幾つかあるかとは思いますが、大きくは下記のようなところでしょうか。
  • 技術や手法の進歩による作業の一般化
  • 情報の非対称性の解消による外部プロの相対的価値低下
  • 企業内スタッフの技術・知識の習熟(技術・知識のコモディティ化)
  • 人材の流動化による外部プロ人材の流入
  • コスト低減の圧力

私もかつて生息していたコンサルティング業界はその典型のようなところがありまして、プロジェクトの短期化や単価の下落、モジュールの切り売り(必要なところだけつまみ食いされる)といった現象が起こっていました。

さて、今回取り上げるのは、そんなDIYの流れがマーケティングの世界にも押し寄せてきているという話です。ここではマーケティング・リサーチ(以下、MR)を例に取り上げます。

通常のMRでは、リサーチ会社がクライアントへのヒアリングを通じて課題や仮説を整理、その上で質問を作り適切な対象者を集めてアンケートを実施、回答が集まればデータを様々な角度から分析し当初仮説に照らした検証と示唆を導出してレポーティングを行う、というのが、一般的なビジネスプロセスかと思います。

「DIYリサーチ」とは、このプロセスの多くをクライアント(企業)が自前でできるようにする仕掛けでして、その多くはWebサービスを通じて上記のようなこれまで外部プロが行っていた作業を自前で行えるようになっています。国内外の代表的なDIYリサーチサービスは下記のようなところでしょうか。

Survey Monkey(海外のデファクトサービス)
Fastask(日本で最近ジャストシステムがリリースしたサービス)

最近下記のような記事を読んだのですが、DIYリサーチには、リサーチ業界でも肯定派/否定派両方の意見が存在するようです。多分に、リサーチ会社にとっての”仕事”が奪われるという懸念から来る否定的意見もあるように思われますが。。

■下記肯定派/否定派記事が紹介されていた元記事
Stop Calling It "DIY Research"

■肯定的記事
Why DIY marketing research is good for our industry
Why DIY Research is Good for Everyone

■否定的記事
5 Dangers of DIY Research
D-I-Y Market Research: Worse than no research at all?


肯定派/否定派両方のポイントを紹介したいところですが、長くなってしまいそうなので、また機会を見て整理をできればと思います。

個人的にはメリット・デメリットを踏まえつつ、どんどんDIYが進み、外部プロはより付加価値の高い作業や別軸の価値の創出を行えばいいと思います。この既存価値のコモディティ化と新機軸の価値創出はイノベーションの一つのパターンです。この「DIY化」自体も一つのイノベーションであると思いますし、それによって今後起こるであろう外部プロによる新たな価値創出も一つのイノベーションになることでしょう。

余計なお世話かもしれませんが、意固地に新しいサービスの不完全さと外部プロとしての価値を主張していても、技術や知識のコモディティ化は避けられない中で、同じことをしていては価格低下圧力が増すのみです。

上記の『Stop Calling It "DIY Research"』では、DIYリサーチを既存のMRとまったく異なるタイプのリサーチとして捉えるのではなく、(意味ある)ツールの一つとして捉えるべきであると書かれています。食事を考えてみればわかるように、人は一日のうちに、昼にマクドナルドや吉野家でランチをしたと思えば、夜は高級なレストランでディナーをするわけです。ケースバイケースで複数の選択肢から適切なものを選べるということで非常にポジティブなことだと思います。

さて、このDIY化のイノベーションはどこから起こってくる(起こっている)のでしょうか。その当時を実体験として知りませんが、かつてMRの中心が郵送や訪問からオンラインに移った時にも、その変化の中心には既存の事業者ではなく新しい事業者がいたと言います。上記のジャストシステムなんかはリサーチ会社でもなんでもないわけで、このような「外縁」からの変化ということが今回も繰り返されるのかもしれません。


【追記(2012.12.12)】
Survey MonkeyとFastaskについて、同系統のサービスのようにご紹介していましたが、お二方からTwitterで下記のようなコメントを頂戴しました。同じDIYリサーチながら、少し(だいぶ?)性質が異なるようです。

@Experidgeさんより。
@sh0tk Survey Monkeyと、Fastask(日本で最近ジャストシステムがリリースしたサービス)との違い:前者は外部或いは手持ちの対象者のメールアドレスを自由に登録して自前の調査が可能。後者は提携ネット調査会社のパネルのみ利用可とのこと。パネル会社も儲かる仕組み。

@madarameさんより。
Survey Monkeyはシステム貸し、Fastaskは通常のネットリサーチを喰っていく流れでしょうかね。RT @sh0tk: ブログ書いた。>BtoBにおける「DIY(Do It Yourself)」の事例 -DIYリサーチに考える-

私なりの理解では、前者は顧客とのコミュニケーションに軸足を置いたサービス、後者は純然たるリサーチサービスの一種。前者はある程度住み分けが効くし、後者もパネルを持つリサーチ会社とはWin-Win。実は、両者ともリサーチ会社というよりも、「リサーチャー」の仕事を奪うのかもしれません。

2011年12月8日木曜日

「イメージ」の危うさ -実は「低栄養化」している日本人-

「イメージ」という言葉は非常に便利な言葉です。オフィスでもよく「そうそう、そんなイメージで進めてください」とか「イメージで言うとXXXな感じですかね」といったやり取りをよく耳にするのではないでしょうか。

抽象的な概念レベルの議論やゴールや目的といった前提条件をしっかりと共有できているチームにおける議論においては有用な言葉ではありますが、議論している事柄を具体的な言葉や数字で表現できない時に苦し紛れに濫用される傾向も否定できません。

この、「イメージ」の危うさを感じたのが、『選択』2011年12月号の『「低栄養化」している日本人』という記事です。以前のエントリ(『数字には意図がある -「基準値」によって変わる「患者数」-』)でも少し引用した柴田博医学博士の連載です。

ここで紹介されていたのが、日本人のエネルギー摂取量(キロカロリーのやつです)の実態です。

皆さんは、最近の日本人のエネルギー摂取量は昔に比べてどのように変化しているとお考えになられるでしょうか。(タイトルに書いてしまっているのですが。。)

「イメージ」で言うと、「飽食の時代」「メタボ」「欧米化」「食生活の乱れ」といったように、大きくエネルギー摂取量が増えているという印象を抱かれるのではないでしょうか。

事実はその逆で、記事によると、日本人の低栄養化が進んでおり、過去に比べても摂取エネルギーは減り続けている、ということです。驚きじゃないですか?

日本社会は高齢化により高齢者が増えている、摂取エネルギーが減少するのは当然、という反論が想定されるところですが、それに対しても下記のように年代別に推移が数字で示されていてます。(結論的には、ほぼ年代に関係なく減少しています)



※出所は厚生労働省の国民健康栄養調査
※「小学校・中学校世代のエネルギー摂取量が減っていないのは給食に依拠しているから」等の年代別の数字に意味合いも記述があって面白いのですが、話がそれるので割愛

この連載の過去の記事には、日本人の総カロリー摂取量は、終戦直後の1946年より、今の方が低くなっており、現代の方が低栄養。1946年の1日の平均摂取カロリーが1903キロカロリーであったのに対して、2008年は1867キロカロリー、とあります。

これはまさに「イメージ」と実態がかけ離れた、いわば空中戦が展開されている典型例ですね。実態や事実を無視し、日本人のエネルギー摂取量について単なるイメージだけで語られ、逆行する政策や妙な健康法ができあがるということを想像すると、怖くなります。

上記はあくまでも一つの例ではありますが、「イメージ」で語る時に必ずセットで見ておかなければいけないのが、ファクトであり数字なのだと思います。「イメージ」という言葉、便利な言葉であるだけに気をつけなければいけないですね。

2011年12月3日土曜日

交差点 -『スティーブ・ジョブズⅠ/Ⅱ』を読んで(その2)-

スティーブ・ジョブズの評伝(/)を読んだ際のメモは以前こちらのエントリに書きましたが、少し時間をおいてなおリフレインしてくるフレーズがあるので追加でメモします。

この書籍で何度か出てきたフレーズが「交差点」です。

文系と理系の交差点、人文科学と自然科学の交差点という話をポラロイド社のエドウィン・ランドがしてるんだけど、この「交差点」が僕は好きだ。魔法のようなところがあるんだよね。イノベーションを生み出す人ならたくさんいるし、それが僕の仕事人生を象徴するものでもない。
アップルが世間の人たちと心を通わせられるのは、僕らのイノベーションはその底に人文科学が脈打っているからだ。すごいアーティストとすごいエンジニアはよく似ていると僕は思う。どちらも自分を表現したいという強い想いがある。たとえば初代マックを作った連中にも、詩人やミュージシャン活動をしている人がいた。1970年代、そんな彼らが自分たちの創造性を表現する手段として選んだのが、コンピュータだったんだ。レオナルド・ダ・ビンチやミケランジェロなどはすごいアーティストであると同時に科学にも優れていた。ミケランジェロは彫刻のやり方だけでなく、石を切り出す方法にもとても詳しかったからね。
僕は子どものころ、自分は文系だと思っていたのに、エレクトロニクスが好きになってしまった。その後、『文系と理系の交差点に立てる人にこそ大きな価値がある』と、僕のヒーローのひとり、ポラロイド社のエドウィン・ランドが語った話を読んで、そういう人間になろうと思ったんだ

あの有名な”Stay hungry, Stay foolish”で知られるホールアースカタログの発行人スチュアート・ブランドもこのように語っていたと言います。
スティーブはカウンターカルチャーとテクノロジーが交わるところに立っています。人が使うためのツールという概念を体現しているのです。

以前こちらのエントリでご紹介した「追悼 スティーブ・ジョブズ」(Mac Fan 12月 臨時増刊号)にも、ジョブズの下記のような発言が紹介されていましたね。
我々はいつもテクノロジーとリベラルアーツの交差点に立とうとしてきた。技術的に最高のものを作りたい。しかしそれは直感的でなくてはならない。

この「交差点」という言葉、やけに残るんですよね。

一体、自分は何と何の交差点に立つのだろう?

そんなことを考えながら週末に突入です。