2011年10月7日金曜日

目的を優先すべきか、手段は選ぶべきか -幹細胞を活用した再生医療実用化の現状から-

先日、ノーベル医学生理学賞が発表され、受賞の最有力候補と地元メディアでの事前報道もあった、iPS細胞研究の京都大学山中教授は受賞を逃しました。

ノーベル医学生理学賞にホフマン氏ら3人 山中教授は受賞せず

このiPS細胞(人工多能性幹細胞)を活用した再生医療や創薬は、これからが実用化に向けた臨床研究の段階という報道がされています。

「iPS臨床、10年で」=山中教授が講演―京都

日本ではiPS細胞が非常に盛り上がっていますが、この再生医療への実用化という意味では、世界的にはES細胞(胚性幹細胞)を活用した研究や試験の方が以前から行われており進んでいると言われているそうです。一方で、その名の通り「人工」であるiPS細胞に比べて、ES細胞の樹立には、受精卵ないし受精卵より発生が進んだ胚盤胞までの段階の初期胚が必要となるため、生命の萌芽を滅失してしまうために倫理的に問題があるのではないか、といった議論を呼んでいます。

※その詳細な違いには触れません(と言うか知識的に触れられません)が、両者の説明をWikipediaより引用のみしておきます
iPS細胞(人工多能性幹細胞)
ES細胞(胚性幹細胞)

このような違いはあれ、双方ともにその研究の「目的」は、より良い治療方法の確立や画期的な創薬によって、医療のアウトカムを変えることにあるのだと思います。この時に、「目的」というのはどれほど優先されるべきなのでしょうか(言い換えると、手段はどれほど選ばないといけないのでしょうか)

倫理も絡む領域で非常に難しく、私にも答えはないのですが、米国と日本のES細胞を活用した再生医療に対する考え方や実績の違いを見てみたいと思います。

■目的に向けて爆走する米国

米国では、2010年10月に、世界で初のES細胞を活用した再生医療の臨床試験が開始されました。主体はジェロンという米国のバイオベンチャーです。翌月2010年11月には、立て続けに、同じく米国のバイオベンチャーのアドバンスド・セル・テクノロジーによる眼病に対する網膜細胞再生医療の臨床試験が開始されています。

ES細胞、初の臨床試験開始 米で脊髄損傷の患者に
ES細胞臨床試験2例目

また、米国外でも臨床試験の準備が着々と進められています。これもアドバンスト・セル・テクノロジーによる英国での試験です。さらに、昨年の段階でこのような報道もあり、次は韓国ではないかというようなことも言われているようです。

「ES細胞の臨床試験、英も認可…米に次ぎ2国」
韓国でもES細胞ヒト臨床試験へ

理化学研究所で網膜再生医療研究をされている高橋政代先生(@masayomasayo)も次のようにつぶやいていらっしゃいます。ACTというのはアドバンスト・セル・テクノロジーのことです。
ACTは韓国にライセンス売ってるので、ESの網膜治療、次は韓国だろう。治験のしやすさが日本と格段に違う。@Macky5277 韓国政府が67億円を幹細胞研究に投資「幹細胞強国に」=韓国 http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2011&d=0921&f=national_0921_044.shtml via @searchinanews

当然ながら日本以外の各国でもES細胞の是非に関する議論は行われていると思いますが、よりプラクティカルに、どちらかと言うと目的が優先されているのではないかと推察できます。

また、『ヒトiPS細胞研究はどこまで来たか 八代嘉美』によると、研究としての進捗(と言うか活性度)も米国と日本では徐々に開きが出てきているようです。
2006年当時、公的に登録されていたアメリカのES細胞の株数は65株、日本では3株であったのに対し、2011年にはアメリカは89、日本は5とその差を引き離されている。

また、論文数でも米国が大きく日本をリードしている現状があるようです。下記は『iPS細胞 世紀の発見が医療を変える』からの抜粋です。
2006年に学術誌がまとめたヒトES細胞の研究動向調査では、その時点の日本発の研究論文は、通算5本で世界の1%程度でしかなかった。(中略)アメリカは125本、イスラエル42本、イギリス30本と続き、韓国(27本)や中国(18本)といったアジアの国々にも及ばなかった。


■水をあけられる日本
目的に向けて爆走する米国に、水を開けられているのが日本です。ランダムですが、そこには幾つかの問題点がありそうです。

①事業化基盤の問題
日本では、アカデミアのシーズが事業化につながりにくい問題がありそうです。上で引用させていただいた理化学研究所高橋政代先生のつぶやきに下記のようなものがあります。
研究者の私がマーケットなんて言う理由は、ESから網膜色素上皮細胞ができてこういう治療に使えますよと初めて示し、何百回と講演しお願いしても日本の企業は動かず、結局米のACTが世界を抑えようとしている。結局自分で動かなくちゃだめなんだと分かったのでベンチャーを作った。←今ここ

これは以前のエントリーでも触れたことですが、シーズの実用化の方向性や有用性を示すことができているのに、企業が動いてくれないので自ら事業化を進めるということのようです。企業が動かないことが問題なのか、アカデミアなりR&Dベンチャーが自ら事業化を進めにくいことが問題なのか、両方あるかとは思うのですが。。

②手段の一極集中の問題
報道も資金も制度も、iPS細胞研究の方に偏りすぎているという状況があるようです。

以下、京都大学の細胞-物質統合拠点(iCeMS)でイノベーションマネジメントを研究されている仙石慎太郎先生(@ssengoku)のつぶやきです。どうも、技術としての有効性や効用よりも、新規性等からくる「名」や「話題性」に偏る傾向があるのではないかということだと思います。
(承前)「世界はESだが日本はiPS細胞に集中」といったおめでたい意見が多いが、いずれもヒト多能性幹細胞で大同小異。イノベーションの推進力は技術機会の多様性市場の占有可能性。ES細胞という最有力の技術機会を早々に放棄し、かつ臨床研究開発市場で劣位となった国に勝ち目は無い。
(承前)日本の為すべきは「世界で始めてヒトiPS細胞で患者を治療」するという「名」の追求と割り切るのも一策だが、画期的技術の経常利益化=イノベーションという「実」を実質上放棄することへの説明と国民的理解が必要。こと先端医療イノベーション分野で、決して米英をなめてはいけない。

③制度の問題(後手の対応)
何度も引用をしてしつこいのですが、高橋先生のつぶやきです。倫理等が絡んだ場合の日本の制度面での遅れ(一度こうと決まると状況が変われどなかなか変わらない)が挙げられています。
治療に名の追及なんかいらない。世界最良だけ。ESを使ってはいけないとか、アイバンク提供眼も使ってはいけないとか、日本の研究者はいろんな妨害にもめげず世界最良を目指しています。最終的に効果があり普及タイプになるのはどの治療かという戦い。であることは再生医療開発者はわかっている。
米で成体神経幹細胞での脊髄損傷治療、英でES由来網膜色素上皮細胞でのスターガルト病治療開始のニュース。日本にも技術はあるけど、制度がありません。ES細胞を臨床に使えないし、網膜の成体幹細胞移植治療も欧米では計画中ですが日本は提供眼を角膜移植以外に使ってはいけないという法律がある。

上述の『ヒトiPS細胞研究はどこまで来たか 八代嘉美』にも、このような記載があります。
わが国では2001年の「ヒトES細胞の樹立及び使用に関する指針」 を制定する際の議論などをはじめ、政府の過剰な関与が日本国内の幹細胞研究を遅らせているとの指摘があった。


他にもあるのかもしれませんが、ES細胞を活用した再生医療の進展の差にはこのような要因が背景にあるようです。そこには目的と手段に対する大きな考え方の違いがありそうです。

本エントリーのタイトルとした「目的を優先すべきか、手段は選ぶべきか」に対する答えは、「目的を優先すべき、その目的に応じて手段は選ぶべき」なのだろうと思います。今の再生医療の現状をざっと眺めてみると、(あくまでも素人の戯言ですが)目的と手段に分断が起こっているように感じます。

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