2011年10月29日土曜日

「シンプル・イズ・ザ・ベスト」と言うけれど -ジョブズ追悼号を読んで考えたこと-

色々なところで書き尽くされていて、今更感甚だしいことを自覚した上で、「ジョブズ」というキーワードをタイトルに入れてみました。私は80~90年代はジョブズという存在自体知らない子供時代を過ごしましたし、現在までに手にしたApple製品はiPodとiPhoneだけという筋金入りの「にわか」です。

ただそんな「にわか」から見ても、ジョブズの功績や人生・キャリアの流転、エピソード・発言の数々は惹きつけるものがあります。ということで、下記の追悼号を読んでみました。関西方面への新幹線の移動中に読んだのですが、いつも眠気が確実に襲ってくる横浜名古屋間でまったくまぶたが落ちてこないくらい、一気に読めました。

「CEOスティーブ・ジョブズ 追悼号」(MacPeople 12月号増刊号)
「追悼 スティーブ・ジョブズ」(Mac Fan 12月 臨時増刊号)

内容は「にわか」ではない人にはきっと「懐かしいな~」「そうそう、あの時のプレゼンで・・・」といった感想を持つだろうものでしたが、私のような「にわか」にはジョブズやAppleの哲学や考え方を学ぶ良い教材でした。その中でも、特に気になったのが「シンプルであること」への拘りです。

Appleには「Hot, Simple and Deep」という考え方があるようで、下記のようなものです。
自社製品が多機能であることをデザインで誇示しようとする他社に対して、アップルは見た目と最初の使い勝手をシンプルにしながらも、使い込むうちに奥の深さに気付くような作りを好む。それこそが、ジョブズの考える理想の製品デザインだからだ。(『Mac Fan』より)
それまで見たことのないような「Hot」なコンセプトやアイデアを持つことによって、消費者はその製品と出会った瞬間に興味を掻き立てられ、試してみたくなる。続いて、実際に製品に触れてみると、「Simple」でわかりやすく、すぐに使えるようになってしまう。そして、使い続けていくうちに、最初のうちは気付かなかった工夫や心遣いが「Deep」な部分に見えてきて、それが持つ魅力にはまっていく。(『Mac People』より)

まあ、「シンプルであること」の重要性はジョブズに言われなくても直感的に感じるし、消費者としてもシンプルに必要最小限の機能で良いということは思うところもあります。ただこれを実際のビジネスに落とし込むのは非常に難しいことであると、サービスの企画や開発を行う身としては常日頃感じます。Appleのデザイン戦略の責任者であるジョナサン・アイブも下記のように言っています。
シンプルにするという作業は、もっとも難しいことの一つである。

では、なぜ皆が「シンプル・イズ・ザ・ベスト」と口で言いながら実践が難しいのか。自分なりに幾つか考えてみましたのでメモしておきます。

・「消費者・顧客の声に耳を傾ける」ことへの万能感
確かに消費者や顧客の声に耳を傾けることは、新しい企画のアイデアのヒントを得たり検証をする際、あるいはリリース済みの製品・サービスについてのフィードバックを得る際、有用なインプットの一つであることは疑いのないところです。ただそれよりももっと重要なことは、そこで得た幾つもの声から意味合いを見出し、本当に取り込むべきものを絞り込むことです。声を聞くことはあくまでも手段なのですが、それが目的化しているケースがあるような気がします。

・フォーカスされていない顧客像
万人受けを狙うには、万人に使い勝手の良いものにし、機能のレベル(?)もリテラシーの一番低い層に合わせる必要があります。また、とにかく網羅的に機能を盛り込むことも必要になってきます。

・企画者自身の製品・サービスのコアや本質への理解不足
自分にも耳の痛いことですが。。上述のジョナサン・アイブは下記のように言っています。
見かけ上のスタイルとしてのミニマルさ、サインプルさがある一方で、真のシンプリシティというものが存在する。後者がとてもシンプルに見える理由は、本当の意味でのシンプルさが突き詰められているからだ。

また、かのアルバート・アインシュタインは下記のように言っていたそうです。
すべてのことは、これ以上単純化できないというところまで、可能な限りシンプルに作られるべきだ。
Everything should be made as simple as possible, but not simpler.
ものごとをシンプルに説明できないということは、十分に理解していないということだ。
If you can't explain it simply, you don't understand it well enough.

・「何をするか」思考によるNice to have(あったらいい)の罠
「何をするか」を考えるということは、確かに重要ではあり、その発散のプロセスがないとアイデアは何も生まれません。一方で、そればかりに固執すると、重み付けがされないアイデアの羅列になり、Nice to have(あったらいい)が捨てられないといった自体に陥りがちであるように思います。

ジョブズの「最も重要な決定は何をするかではなく何をしないかを決めることだ」という言葉はあまりにも有名です。
『Mac People』のジョブズ講演の記録にも下記のような言葉があります。
フォーカスするということは、フォーカスするものに対しての「イエス」を表明すると同時に、フォーカスしないものへ「ノー」という決断を下すことなのです。

Appleのマウスのシンプルさや、PCのポートの少なさは、この「何をしないか」が生み出したものの好例に思います。

ちなみに、Instagramの創業者も同じようなことを言っているようです。
「何をするか重要なのではなく、何をしないかが、製品を決める」:絶好調のInstagram、設立者に聞く成功の秘密(インタビュー)

・「多機能=高い価値」という刷り込み
これも「何をするか」思考に近い話かもしれませんが、供給者側にも消費者側にも「多機能=高付加価値」という認識がどこかにあるように思います。供給者側の「幕の内弁当的になんでも揃っているので、あとは使いたいように使ってください」といったスタイルと、消費者側の「よくわからないから、とりあえず色々できそうなやつ買っておこうか」といった思考が、ムダなのになぜか生きながらえる機能を生んでいたのではないでしょうか。PCのキーボードには一回も使ったことのないキーが幾つかありますし、ガラケー時代は電話とメールと路線検索以外ほぼ使いこなせていませんでした。

iPhoneもそうだと思いますが、らくらくフォンも上記の壁をやぶった実例ですね。

誤解を招いてはいけないのですが、ジョブズも機能を軽視しているわけではなくむしろ重視しています。ただそれをなんでもかんでも盛り込み全面に押し出すということは否定しているということなのだと思います。

・リスクを取らない意思決定
シンプルにするということは、機能を絞るということであり、それは「ハズす可能性」が高まるということでもあります。ハズすことを恐れて、「とりあえず入れとく」的企画・開発をしていないかということも一つのチェックポイントかと思います。これは思考スタイルに近いのかもしれません。


まとまりない感じになってしまいましたが、自身を振り返っても色々あるなと。。
ということで、予習は完了。スティーブ・ジョブズの評伝も買ってしまいましたです。

2011年10月23日日曜日

イノベーション:7つの落とし穴 -整理ではなく創造のためのイノベーション・フレームワーク-

「マーケターのメモ帳」と銘打ちながら、イノベーション関連のポストがやや多い気がしていますが、懲りずにまた。今日はフレームワークについて。

以前、i.schoolのイノベーション関連のセミナーに参加したことを書きましたが、その登壇者のお一人であるデザインコンサルティング会社Zibaの濱口秀司氏が提唱されている「フレームワークの効用」として下記のようなものがあります。
こちらより引用
「この数年、フレームワークという言葉がビジネスの現場で頻繁に使われます。しかし、ほとんどの場合、ロジカルな思考を追求するための、効率的に情報を整理するためのツールとして理解され、利用されているだけです。
じつは、フレームワークには別のめざましい効用があります。正確にはフレームワークを作る活動である<フレームワーキング>の効用です。それは、デザイン思考と密接な関係があり、イノベーティブなコンセプトを生み出すためのキー・プロセスになるものです。フレームワーキングの効用は、論理や整理だけでなく、創造とイノベーションにはたらくのです。

ちまたにはイノベーションに関するフレームワークは数多ありますが、セミナーでの氏の講演はそのキャラクターもあいまって、非常にアトラクティブでした。ので、きっと氏の考え方には何かヒントがあると思い、Google先生に聞いてみたところ、過去に『Structured Chaos: Balance the Science and Art of Innovation』(英語)という論文を書かれていたので、読んでみました。

まだ未消化ですが、よく体系化された内容でしたので、意訳を加えながら要約メモ・抜粋します。イノベーション創出において陥りがちな「7つの落とし穴」という切り口で原文は構成されています。(以下、やや長文です)

■「Build the right thing」こそイノベーション
多くの企業(特にテクノロジーベースの企業)は、活動の力点を品質管理やリソース管理、スケジュール最適化等の「Build something right」に置きがち。テクノロジーやHowの部分だけでなく、マーケットやビジネスの目的とするところにも目を向けた「Build the right thing」が求められており、これこそがイノベーションのプロセスであると言います。

■7つの落とし穴
「Build the right thing」を実現するイノベーションには、適切な創造とインサイトが必要と言います。ここで、氏は、企業がイノベーションに取り組む際に陥りがちな「7つの落とし穴」があると言います。
1. Technology Tunnel-Vision,
2. Misunderstanding Uncertainty,
3. Strategic Driver Shortcuts,
4. Scope-less Innovation,
5. Ineffective Brainstorming,
6. Missing the Model, and
7. Go with the Flow.

日本語で(内容も踏まえて意訳して)言い換えると下記でしょうか。
1. Technology Tunnel-Vision:テクノロジーだけにフォーカスした視野の狭さ
2. Misunderstanding Uncertainty:不確かさについての理解不足
3. Strategic Driver Shortcuts:ドライバーの見極めをすっ飛ばした議論
4. Scope-less Innovation:目指す姿のないイノベーション
5. Ineffective Brainstorming:効果のないブレスト
6. Missing the Model:ブレストを支えるモデルの欠如
7. Go with the Flow:易きに流れる思考

■落とし穴にはまらないための7つの方法

では、どのようにして、落とし穴を回避するのでしょうか。裏返すとこれがイノベーション創出のプロセスであるとも言えます。
※なお、”>>”で書いた日本語のお題目は私の勝手なタグ付けです

1. Technology Tunnel-Vision>>視点を広げる
イノベーションの機会をテクノロジーの視点のみから探るのではなく、「顧客」や「ビジネス」の視点からも探る必要があると言います。詳しくは書きませんが、VCR市場におけるVHSとBetaの競争(Betaは技術的に優れていたが・・)についてのケースが引用されていました。


下記の図は縦軸にイノベーションエリア(技術、顧客、ビジネス)の多様性、横軸にイノベーションインパクトの強さを取った図ですが、左上の象限に、よりイノベーションの機会があり、そこに目を向けるべきという主張です。(現状は左下が多い)
 

これを言い換えると、イノベーションを起こす対象業務を広げるということでもあります。テクノロジードリブンのイノベーションはとかく製品イノベーション が主になることが多いですが、「service innovation」「value distribution innovation」「brand innovation」「customer experience innovation」といったところも非常に重要ということです。

2. Misunderstanding Uncertainty>>不確かさは避けるのではなくマネジする
イ ンパクトの大きなイノベーションを目指すにあたって、イノベーションの機会の大きさは不確かさの大きさに比例すると言います。人は自然に不確かさ(リス ク)を「避ける」ことが不確かさをマネジすることであると考えがちですが、インパクトの大きなイノベーションを実現するには、不確かさに対する正確な理解 とハンドリングを行うことこそがマネジすることであると言います。

その時に重要になるのが、「不確かさのレベル」。目指すイノベーションにおける不確かさのレベルはどこに位置するのか、見極めることが重要です。


不確かさのレベルは大きく4つに分けることができ、特にレベル2(Scenario),3(Direction)にイノベーションの機会があるようです。

・Level #1  Trend
競合や市場計数のトレンドがどの方向に向かうかを見極めることができれば、イノベーションの方向性も予想できるレベル。不確かさは最も小さい。

・Level #2  Scenario
方向性がシナリオ分岐しており、どの枝を選ぶかによってその帰結や必要となるアプローチが異なるため、慎重な選択と優先順位付けが必要になる。不確かさは少し大きくなる。

・Level #3  Direction
360度可能性のある中で、方向性を自ら付けなくてはならないため、その選択と個別のシナリオ定義が非常に難しく、その定量的なモデリングも難しいレベル。不確かさは非常に大きい。

・Level #4  Prophecy
予言レベル。不確かさマックスのため、無視するのが懸命。

3. Strategic Driver Shortcuts>>イノベーションのドライバーを見極める

複数あるイノベーションの候補の 中で、どれにイノベーションの機会を見出すのか。「2. Misunderstanding Uncertainty」で取り上げた不確かさのレベルに加え、「ビジネスへのインパクト」も加味し、イノベーションのドライバーのありかを見出すことが 重要であると言います。


下記のステップで、イノベーションの機会(不確かさの因子)をマッピングします。

Step #1: Identify the Key Uncertainties:
テクノロジー、顧客、ビジネスのエリアから、MECEに(漏れなくダブりなく)因子を20~30個洗い出す

Step #2: Chart the Uncertainties:
縦軸にビジネスへのインパクト(EVAやNPVを活用)、横軸に不確かさのレベルを取り、上記因子をマッピングする

Step #3: Identify the Strategic Drivers:
結果として、下記図のような各象限に機会(不確かさ)がマッピングされ、その中でも、右上の象限(不確かさ大×インパクト大)にマッピングされるのが大きなイノベーションの機会「Strategic Drivers」。


 4. Scope-less Innovation>>イノベーションのタイプ分けをする
目指すべきイノベーションの機会 「Strategic Drivers」が見つかれば、あとはどのようなイノベーションを創出するべきなのかブレストを行う。その際、イノベーションのアプローチに関するタイプ 分けをしておくことが議論の焦点を絞ることにつながり生産的だということです。語呂良くタイプABCDです。


ABCDのタイプ分けは下記。AからDになるに連れて、不確かさが増し予測性が落ちる場合により有効であるとされるタイプのようです。

A: Adaptation:条件やニーズの変化にアプローチを適合させる型

B: Breaking-up:オプションを幾つか用意し、リソースを適切にアロケーションさせる型

C: Creation:全く新しい海図を自ら描き、漸進する型

D: Dilution:不確かさを希釈化あるいは無効にする型

5. Ineffective Brainstorming>>効果の上がるブレストをする
さて、イノベーションのアイデアを創出するブレストを行う土壌は整いました。次に必要となるのは効果的なブレストをやる方法です。

一 般的には、議論は構造的であればあるほどクリエイティブではなく、発散的になればなるほどクリエイティブであると言われることが多いですが、氏のスタディ によると、下図にあるように、あるポイントまでは発散することがクリエイティビティを高めますが、構造的な議論と混沌とした議論のちょうど中間に、最も高 いクリエイティビティが生まれるということです。
このポイントを氏は「Structured Chaos」であると言っています。


 より実践的なところで、どちらかのモードに偏りがち、あるいは効果があまり上がらない場合には、この両極を行ったり来たりする、あるいは求めるクリエイ ティビティの基準をそこまで高くせずにこの「Structured Chaos」の状態を作り出すということを提示しています。

また、ブレストへの参加人数は主体的な参加姿勢を持つ7~10人がちょうどよく、過剰に操作しないことが望ましいとのことです。

6. Missing the Model>>「Structured Chaos」を維持する
氏は、上記の「Structured Chaos」を維持するには、「いかり」と「磁石」の役割を果たす「モデル」が必要であると言います。

こ こで言う「モデル」とは下図の「論理的に示す」「ビジュアルで示す」「シンプルに示す」の交点にある状態を指し、議論は常にこの3つのポイントを踏まえて 示されることが重要であるということのようです。言い換えると、これが新しいコンセプトやアイデアを検証する際に使うことのできる評価ツール(どれか一つ でも表現できない角度があるとNG)でもあるということです。


7. Go with the Flow>>困難なプロセスに備える
最後に、考え方の面から見た落とし穴です。人はどうしても、使い慣れた、取り組み易い、見方ややり方で物事を進めがちです。しかし、イノベーションとはこれとは全く逆のものであるという認識を持つべきだと言います。
・Innovative ideas are concepts that we have not seen before.
・Innovative ideas do not seem do-able in a short term.
・Innovative ideas create controversy, both for and against the idea.

見たことのないもの、短い期間では成しえないもの、軋轢を生むもの、それがイノベーションであるということです。これはプロセス全体に共通して必要なマインドセットと言えるように思います。

■結論として
氏の主張は、冒頭に述べた「Build something right」から「Build the right thing」への転換が、よくその内容を表していると思います。そして、パラダイムの転換にはアプローチの転換を伴うということが非常によくわかります。蛇足ですが、かのアインシュタインも「同じことを繰り返しながら、違う結果を望むこと、それを狂気という」という風に言っていますね。。

また、普段イノベーションだ新サービス企画だと言っている中で、いかに自身がならではの確固たるアプローチ・方法論を持ち合わせていないかがよくわかりました。冒頭に紹介した氏の「整理ではなく創造に働くフレームワーク」というところに学び、自身の仕事でも考えてみなければと思いました。。

■最後に
Structured Chaosを実現するには、"This approach requires us to engage a mature and experienced manager. He/she sets our goals, monitors the meeting tone carefully, and responds quickly to influences that pull toward chaotic or structured."なのだそうです。イノベーションをリードするような人材の育成がどうなされるのかも、一つのポイントになってきそうです。そこまで体系化してくれ、というのは要求が過ぎるとは思いますが。。

2011年10月16日日曜日

ビッグ・データのもたらす変化 -マッキンゼーの論文より-

最近、色んなところで「ビッグ・データ」という言葉は使われていて、このブログでもそのもたらすインパクトや変化について取り上げたことがあります。

マーケティングリサーチ:12の新しい潮流 -『WHAT’S NEXT IN ONLINE AND SOCIAL MEDIA RESEARCH?』-
ビッグ・データの可能性 -『科学の「第4のパラダイム」』(HBR11月号)より-

この「ビッグ・データ」というのは2011年に入ってからマッキンゼーが言い出した言葉のようなのですが、一度はその原典にあたっておかないといけないだろうということで、マッキンゼーから出ている「ビッグ・データ」に関する論文を少し読んでみました。
(少々というのはまとめブログとサマリをザッとレベル。英語な上にボリュームが相当なもので。。)

紹介ブログ:Big data:The next frontier for innovation,competition,and productivity
論文サマリ(PDF)
論文全文(PDF)


■ビッグ・データのもたらす定量的なインパクト
まず、論文に紹介されていたビッグ・データのもたらす定量的なインパクトの具体的事例を(日本語化して)抜粋。
・たった600ドルで世界中の音楽すべてを格納できるドライブを購入できる
50億台もの携帯電話が使われていた(2010年)
300億ものコンテンツが毎月Facebook上では共有されている
・たった5%のIT費用の増加で、年間40%増のペースでデータが作り出されている
235テラバイトのデータがアメリカ議会図書館には納められている(2011年春)
・米国の17業種中15の業種で1社あたりのデータ量がアメリカ議会図書館を超えている
・ビッグ・データの活用によって、米国のヘルスケアでは年間3000億ドルの価値創出が期待される(スペインの年間ヘルスケアコストの2倍)
・ビッグ・データの活用によって、EUの公共セクターでは年間2500億ユーロの価値創出が期待される(ギリシアのGDPを超える)
・個人の位置情報データを活用することで年間6000億ドルの消費者価値創出が期待される
・ビッグ・データの活用によって、小売の営業利益に60%の改善が見込める
・ビッグ・データを活用するために、米国だけで、14万人~19万人以上の分析人材の不足が予想され、150万人のマネジャーが必要とされる

こう見ると確かに大きなインパクトや変化がもたらされるということが分かります。


■ビッグ・データのもたらす変化や課題
折角なので、論文の章立てと概要のみをザッと抜き出しておきます。

1. Data have swept into every industry and business function and are now an important factor of production
ビッグ・データは業種や業務機能のワクを超えて、あまねく領域において労働力や資本とともに生産活動における重要なファクターになっているということです。2009年の時点で、米国において1000人以上の従業員を抱える企業1社あたりの保有データ量は少なくとも平均200テラバイトを超えるそうです。(ちなみにウォルマートはこの2倍だそう)

2. Big data creates value in several ways
大きく5つの方向性でビッグ・データの効用がありうると書かれています。

・Creating transparency
データの透明性が高まり、アクセスがよくなるため、仮にセクションが別れていてもそれぞれのデータを統合し、早く高頻度に最終的な価値創造につなげることができる

・Enabling experimentation to discover needs, expose variability, and improve performance
在庫情報から病欠情報までありとあらゆるデータがほぼリアルタイムで手に入るので、成果につなげるための計画的な実験を繰り返し行うことができる

・Segmenting populations to customize actions
カスタマーのより細かいセグメンテーションが可能になるため、ニーズに沿ったカスタマイゼーションが容易になる

・Replacing/supporting human decision making with automated algorithms
より洗練された分析、自動化されたアルゴリズムによって、人の意思決定の質向上をサポートすることができる

・Innovating new business models, products, and services
新しい製品・サービス、ビジネスモデルを創出するために活用することができる

3. The use of big data will become a key basis of competition and growth for individual firms
ビッグ・データを活用するということは、競争や成長の重要なファクターになってきており、リーディングカンパニーとして他社に水をあけるためには必須のこととなってきているようです。既存の競合企業も新規参入企業もこぞってデータドリブンの戦略立案を深いレベルでリアルタイムに行ってくるだろうということです。

4. The use of big data will underpin new waves of productivity growth and consumer surplus
生産性向上や消費者への利益還元を生み出す新しい波になるのではないかということです。冒頭にも数字を紹介しましたが、実際に、ビッグ・データの活用は、小売に営業利益の60%増をもたらし、個人の位置情報データは消費者に6000億ドルの経済価値をもたらすと言われているそうです。

5. While the use of big data will matter across sectors, some sectors are set for greater gains
業種を問わずビッグ・データの影響はあるが、特に幾つかの業種ではそのインパクトが大きいのだということです。ここでは特に、コンピューター・電機産業、情報産業、金融・保険産業、行政が挙げられています。

6. There will be a shortage of talent necessary for organizations to take advantage of big data
冒頭に数字を紹介した通り、ビッグ・データの活用を企業で行っていくにあたっての人材不足がいずれ起こってくるということです。

7. Several issues will have to be addressed to capture the full potential of big data
ビッグ・データの活用を進めるにあたって、幾つかの問題が生じると書かれています。

一つは、データポリシーの問題。いわゆる、プライバシー、セキュリティ、知財、信頼性の問題です。
二つ目は、技術的な問題。物理的な容量の問題から処理技術の問題、あるいは方法論的な問題等がありそうです。
三つ目は、組織や人材の変化の問題。往々にしてトップの新しいことへの理解レベルは低いもので、その中でいかに組織や人材を変えていくかが問題であると言います。
さらに、データへのアクセスの問題。複数の情報ソースからデータを集め統合する必要が出てきますが、その中で第三者から情報を得る等の連携が必要になってくるとし、どのようにステークホルダーを束ね情報共有を促進させるかが重要だといいます。
最後に、業界構造の問題。特に、競争がない公共領域や、成果での評価があまり進んでいないヘルスケアの領域など、データを使った価値の創出に対するバリアがありそうな業界があるということです。


■雑感
データを解析したからと言って、それだけでマネジメントもイノベーションも自動的に行えるわけではないですが、少なくとも論文に記載のあるような”a few data-oriented managers”にはならないようにしないといけないですね。人材不足ということも言われていますので、逆にこの領域へのスペシャリティがキャリア的にはレバレッジになってくる可能性はありますね。

また、この論文ではビッグ・データの可能性の大きさやそのありどころについて多面的に述べられているのですが、実際に実務に落とすためには、どのような目的で、どのようなデータを収集し、どのような切り口で解析するのか、その企業ならではのコンセプトや方法論が求められると思います。この独自性や切り口の新しさが、ビッグ・データが企業の競争力の源泉となるかどうかの鍵を握りそうです。「難しいですよね。であればお手伝いしますよ。」というのがマッキンゼーの狙いでしょうかね。。

もう一点、企業の最低限のデータリテラシーは必要であると思いますが、一方で、各社そこに力を入れてくる以上、それだけでは差別化できないということも言えるのではないかと思います。データとは別の次元で自社なりの差別化要因、方法論がますます求められるということも言えるのではないでしょうか。

2011年10月13日木曜日

ビッグ・データの可能性 -『科学の「第4のパラダイム」』(HBR11月号)より-

以前、マーケティングリサーチの新しい潮流について扱った記事を紹介するエントリーを書きましたが、その中で言及されている変化の中で一番大きいと言われていたのが「ビッグ・データ」です。以前の繰り返しになりますが、ビッグ・データとは、クレジットカード利用情報、POSデータ、会員カード情報、Webのアクセス情報等、実生活やweb上にあるあらゆる大規模な情報を総称する文字通り「大きなデータ」のこと。

これ、マーケティングやテックスタートアップだけに関係する話ではなく、よりアカデミックな、あるいは社会的な意味でも重要な潮流のようです。確かに考えてみれば公的な所にこそ未活用の貴重なデータがごろごろありそう。

最新のハーバード・ビジネス・レビュー11月号にもこのビッグ・データの時代到来に言及した、『科学の「第4のパラダイム」』という論文が掲載されていました。

この論文の中で、ビッグ・データを扱う手法は、「データ集約型科学(data-intensive science)」と呼ばれ、これまでの科学的探究のアプローチとは異なるものであると書かれています。論文の中で、これまでの科学的探究のパラダイムの遷移は下記のように記載されています。
1.実験
古代ギリシャと中国で始まる。観察された結果を、超自然原因ではなく自然原因によって説明しようとした。

2.理論
17世紀になると、アイザック・ニュートンをはじめとする科学者たちが、新たな現象の予測を試み、実験によって仮説を検証しようとした。

3.計算とシミュレーション
20世紀後半に高性能コンピュータが登場すると、連立方程式の数値的な解を大規模かつ緻密に計算することが可能になった。その結果、科学者たちは気候モデリングや銀河の形成など、実験や理論では足を踏み入れることのできない領域を探求できるようになった。

4.データ・マイニング
科学者たちは、より強力なコンピュータを利用することにより、データを出発点として莫大なデータベースから関係性をマイニングするようプログラムに命令する。つまり、コンピュータがデータを調査することによって規則を発見する。

この「4.データ・マイニング」が、データ集約型科学であり、ビッグ・データを取り扱う方法であるということです。既存の枠組みや規則性の中でデータを分析したりシミュレーションをしたりするこれまでの方法論に加えて、これまで蓄積されてきた山ほどのデータが折角あるのだから、それを全て取り込んで逆に規則性を発見・創造してしまおうという取り組みです。

このビッグ・データを用いたデータ・マイニングの事例はあらゆる分野で進められているようです。下記は上記論文に記載のあった一例。

・患者が再入院する可能性を予測するシステム
患者の病歴や診断結果、生活状況といったデータを蓄積し規則性を解析。新規患者のデータプロファイルを入力すれば患者の再入院の可能性の確認や改善プログラムを設計が可能に。

・Googleの「インフル・トレンド」インフルエンザ関連のインターネット検索の集計データを追跡し、一定の地域でインフルエンザがどの程度流行しているのかを推定するプログラム。パンデミック(複数の国や地域にわたる流行)の早期発見や予測につなげる。

・Googleの「アース・エンジン」
人工衛星による画像や分析を利用して、気候変動の主な原因の一つとなっている森林破壊を追跡。

他にも、ゲノム分析によるオーダーメイド医療の開発もその類でしょう。

こういったところの分析技術が商用として使えるようになれば、また新たな機会が生まれてきそうな気がしますね。自社製品やサービスについての購買情報やユーザー情報の分析は当然のことながら、目の付け所によってはこれまで活用できていなかった情報が掘り起こされたり、情報の集め方や切り口が整備されていなかったが故に見逃されていた領域が出てきそうな気もします。

最後に「ビッグ・データ」に関する論文をご紹介して終わります。どうも「ビッグ・データ」というのは2011年に入ってからマッキンゼーが言い出した言葉のようなのですが、そのマッキンゼーから出ている論文です。ボリュームがハンパなく、相当な気合がいるため、まだ読めてはおりません。。

紹介ブログ:Big data:The next frontier for innovation,competition,and productivity
論文サマリ(PDF)
論文全文(PDF)

2011年10月10日月曜日

(追補)オープン・イノベーションの進化 -オープン・イノベーション・マーケットプレースについて-

先日のエントリーで、製薬業界におけるオープン・イノベーションの進化について書き、各企業が自主的に行っているシーズや技術の公募制度をご紹介しました。(下記がその例)

アステラス製薬(株)>>a3(エーキューブ)
塩野義製薬(株)>>FINDS(シオノギ創薬イノベーションコンペ)
第一三共(株)>>TaNeDS(タネデス)


その時には拾いきれていなかったのですが、自前型の公募制度だけでなく、制度自体もオープンにした「オープン・イノベーション・マーケットプレース」なるものがあるということが、今月のハーバード・ビジネス・レビュー(2011年11月号)『「超分業」の時代』にて紹介されていました。

いわゆるイノベーションの仲介業的位置づけの事業者が増えており、イノベーションを外部に求める企業と課題解決を行う技術やシーズを持つ科学者・エンジニア・学生をマッチングするモデルのようです。
(記事では、企業のタスクの超分業化が進んでおり、イノベーションもその例外ではないといったニュアンスでの紹介でした)

上記の論文中には下記のようなケースが。
製薬会社のロシュは、自動化学分析器に通す臨床検体(人体から得られた被検査物)の量と質を測定する方法を探していた。そこで2008年、イノセンティブでコンテストを開催し、2ヵ月後に世界中の解決者から113件の提案書を受け取った。ロシュ・ダイアグノスティックスの技術管理担当ディレクター、トッド・ペディリオンは、そのなかにロシュが15年かけても辿り着けなかった画期的なソリューションに出くわして仰天した。

ちなみに、このイノセンティブは2001年に設立された世界初の「オープン・イノベーション・マーケットプレース」だそうです。こちらがそのサイトのお題リストです。かなり多くの募集があるようですね。

中には「がん細胞内で機能する分子ネットワークをモデル化する」といったお題もあり、なんと報酬は10万ドル(まあ当たり前の対価なのかもしれませんが)です!
NASAも幾つかアイデアや技術を募集していて、「シンプルな微小重力におけるランドリーシステム」なんて面白い募集もしています。

よくよく見ると、世の中でイノベーションが求められていることが俯瞰的に把握できるかも。。

ソーシャルメディアなんとかの定義 -『What is social media monitoring’s role in the Market Research mix?』より-

そこまでそっち方面に詳しい人が多くない私のまわりでも、最近TwitterやFacebook(特にFacebook)の利用者が増えてきています。2011年8月時点の情報では、Facebookの利用者数は1083万人(日本)、Twitterは1496万人(日本)と言われており、その絶対数と言い普及の速度と言い、一つの生活基盤になりつつあるように思います。

その普及に伴って、ソーシャルメディアを活用したビジネスも当然ながら活況であり、巷にはソーシャルメディア○○というサービスが溢れて(氾濫して)います。と言いながら、私自身もいまいちソーシャルメディア○○の定義というものをうまく整理できていなかったのですが、先日目にしたブログ記事に、いわゆるマーケティングリサーチ方面のソーシャルメディア○○について、わかりやすい整理がされていたのでご紹介します。

詳しくは元記事("What is social media monitoring’s role in the Market Research mix?"(英語))を参照していただくとして、下記にはポイントのみを。

■ソーシャルメディア○○のネーミング色々
まずは、ソーシャルメディア○○のネーミングについて。あるところではソーシャルメディア「リサーチ」が話題になり、あるところではソーシャルメディア「モニタリング」が話題になります。

下記が元記事で紹介されているネーミングの定義です。(定義部分は”超”意訳です)
※本記事は特に「マーケティングリサーチ」まわりについての言及。いわゆるプロモーション系は包含されていません
※なお、筆者は、ソーシャルメディアリサーチの用途・目的の一つである、ディスカッションの創造、あるいは個人レベルでのエスノグラフィー的なリサーチ、といったところは今回の定義から外したと言っていますので、「マーケティングリサーチ」の全てを包含しているわけでもありません

・Social Media Listening
聞き手が前のめりに聞きだすのではなく、パッシブに聞き手が聞くべき発言(キーワードやトピック等)の出現を待つタイプの手法

・Social Media Research
「Listening」に対して、こちらはプロアクティブに、解が必要な質問に対する答えを導けるようにソーシャルメディアの参加者に働きかける手法

・Social Media Monitoring
一定期間、一貫した測定基準で指標を追う手法(例:自社ブランドに関するRTやメンション数)

・Buzz Monitoring
「Social Media Monitoring」に近く、特に、ホットなトピックやトレンドワードを拾う手法

・Blog Mining
その名の通り、ブログ記事にされた内容をマイニングしトレンドを拾う手法(”時代遅れ”という記述あり)

・Social Media Analysis
ソーシャルメディアそのものの働きや効果(メッセージの拡散度、ROI等)を測る手法

こう改めて書いてみると、それぞれの定義や違いを正確に使い分けずに漠然と用語を濫用していることに気付きます。(私だけですかね。。)


■ソーシャルメディア○○の目的
Social media listening/monitoring/researchと色々とネーミングとその役割はあるわけですが、ソーシャルメディア○○の用途や目的はどういったところにあるのでしょうか。筆者は下記のようなものを挙げています。

・Early warning post
危険サインの早期発見として。ブランドや組織が把握しておくべき重要な事項(特に危険なサイン)をいち早く発見する。

・Fast Fact Checking
素早い事実の確認に。世の中で起きていることをファクトとして押さえる(Wikipediaの拡張版との記載)。今日のニュースは?トレンドは?

・Apply Word of Mouth (WoM) Metrics
口コミの測定として。口コミを通して、ブランドの浸透度、キャンペーンの成果、お店やサービスの満足度等を背景とともに知る。口コミってWord of Mouth (WoM)って言うんだ。。

・Predictive Research
予測ツールとして。選挙結果、株式市場の動向、チケットの売上予測といったところのインプットとして活用する。ROIが重要視されるにつれて、その成果を測る事前予測が求められている。

・Market mapping, and segmentation studies
いわゆるマーケットリサーチの簡易版として。ある特定の市場や製品領域では、自然に起こった会話でリサーチが可能。いつ・誰が・何について・どう思ったのかがわかる。簡単ではないが実績は作られつつある。

・Stage One Research
マーケットリサーチの最初の一歩(仮説作り?)として。定量/定性リサーチのスコープを決めるために、ブランドはどんなコンテキストで語られているのか、どんな言葉で表現されているのか、典型的なユーザーはどんなタイプかをざっくり掴む。

・Ideation
アイデアを積み上げる手段として。マーケティングリサーチでいうところのフリーアンサー的なものか。

・Reactive Research
リアクティブなリサーチとして。ある決まったイベント(例:あるサービスに対するクレーム等)が起こった場合に、事前に用意しておいた質問リストから、その発言者により多くの情報・コメントを求める。

こうやって整理すると、色々な活用方法があることがわかります。


■他には?(Any More?)
元記事は、"Any More?""Well these are my eight types of social media listening/monitoring/mining research. Do you have others you’d like to add?"という記述で締められています。

個人的には、この記事取り上げられているのは、リサーチする側とソーシャルメディア参加者との単線的なやり取りをメインにまとめられている印象があり、「ソーシャル」というからには、より「人のつながり」を活用した方法論や目的があってもいいのかと思いました。誰が口コミのハブになっているのか、どういう経路で情報が伝播し同意・反論がどのようなクラスタになっているのか、商品やブランド特性に応じた伝播の仕方に違いはあるのか(誰かをハブにするのか、面でバーっと広がるのか)、等々。

日本でもWebマーケティング会社、リサーチ会社、広告代理店等から色々な手法が提案されていますが、どのような目的や方法論に収斂されていくのでしょうかね。まだ「これ」といったところがないという点、そして肝心の「効果」「成果」がまだあまりはっきりしていないという点から、面白い領域だと思います。

2011年10月9日日曜日

イノベーションは誰の仕事か -ヘルスケアに求められている変化を例に-

「イノベーションのジレンマ」という言葉がありますが、既存のフィールドや成熟した業界で、顧客を持ち、実績を作り、社会的責任を伴う事業運営をしている組織体には、イノベーションを追求することには矛盾が伴います。

先日参加した勉強会(?)で登壇された方が、今ヘルスケアの業界では下記のような変化が求められているということを仰っていました。いずれも左側に書いている内容が今後より求められていくであろうとのことでした。
(説明は私の勝手なざっくりとした補足)

Innovative drug vs Me-too drug
Me-too drugとは効能や作用機序等が従来の製品と大きく変わらない製品のこと。市場規模(患者数)が大きい疾患ではこれであっても事業的にはうまみがあります。

First in class vs Best in class
First in classとは、ある疾患において新しい効能や作用機序を持つ製品を真っ先に出すこと。Best in classとは、「初」ではないが、First in classとは少し異なるポイント・軸で一番の製品を出すこと(これまで問題だった副作用が少ない等)

Value based medicine vs Evidence based medicine
Evidence based medicineというのは、蜜月な営業(MR)にお願いされたからとか、単に○○先生が使っているからではなく、しっかりとした試験等のエビデンスを根拠にした治療・処方をすることであり、非常に非常に重要なこと。今医療の世界ではEvidence based medicineは当たり前になりつつある。これからは、その技術や製品が医療の現場に持ち込まれ、結果としてどのような治療の成果が生まれたのかというところを証明できる製品が求められるということです。

Outcome vs Process
これも上に少し似ているかも知れませんが、どのような治療をしたのかではなく、結果としてどのような成果があったのか、ということで医療技術や医薬品、果ては医師は評価されるべきという考え方。

Personalized vs Public oriented
人間は一人ひとり異なるDNAや体質、生活習慣、価値観を持ち、求める医療の成果やプロセスも異なります。Personalizedとは、そんな一人ひとりに最適化した医療を提供すべきという考え方です。


上記で左側に書いたものが、今後求められてくるイノベーションや変化。
一方で、これらには、下記のような問題にあり、いわゆる既存企業の目的やプロセスに矛盾する面があるのではないかと思います。
  • リターンの保証されない中で、金が莫大にかかる
  • リスクが大きい(誰が担うのか、責任をとるのか)
  • 短期的な投資対効果(利益最大化、コスト最小化)が低い
  • より成果や患者をベースにしたプロセスが求められるため、バリューチェーンが長く分業がセオリーの大企業には難しい
  • 究極の目的が、その疾患において「患者がなくなること」になってくる
  • 未知の領域におけるイノベーションの成功要因は後付けでしか見出せない。属人的ではない仕掛けやシステムがあって成り立つわけではない  等々

以前のエントリーでは、企業のオープンイノベーションが進んでいるとかオープンイノベーションとは言っても企業に手が出せない領域がありそうといったことを書きました。今回の話を聞いて、既存の構造の中での小規模なイノベーションであればそのような手法でも解決できるのかもしれませんが、構造自体を大きく変えるようなイノベーションはもしかしたらオープンイノベーションでも難しいのかも知れないと思ったり。。

上記の勉強会には、上野隆司先生という研究者兼起業家が登壇されたのですが、1万のシーズから1つしか新薬にならないと言われるくらい低確率な新薬研究のフィールドで、この方は、既に1人で2つの新薬を世に上市されており(世界で4~5人くらいらしい)、更にこれからもう1つ2つ上市することを目指されています。元々アカデミアの出身で、自身で創出したシーズをベースに起業し上市までこぎつけたという「新薬発明家」です。(私は存じ上げなかったのですが)

こんなことを言うのは、身も蓋もないのかもしれませんが、このような異才の研究者が、もっと円滑にアカデミアからベンチャービジネスとしてシーズを世に送り出せるような土壌を作る必要があるのかもしれません(この方も途中から米国に拠点を移されています)。属人的ではありますが、「属人的なイノベーションを生み出す非属人的な仕組み」が求められているのではないかと感じます。

2011年10月7日金曜日

目的を優先すべきか、手段は選ぶべきか -幹細胞を活用した再生医療実用化の現状から-

先日、ノーベル医学生理学賞が発表され、受賞の最有力候補と地元メディアでの事前報道もあった、iPS細胞研究の京都大学山中教授は受賞を逃しました。

ノーベル医学生理学賞にホフマン氏ら3人 山中教授は受賞せず

このiPS細胞(人工多能性幹細胞)を活用した再生医療や創薬は、これからが実用化に向けた臨床研究の段階という報道がされています。

「iPS臨床、10年で」=山中教授が講演―京都

日本ではiPS細胞が非常に盛り上がっていますが、この再生医療への実用化という意味では、世界的にはES細胞(胚性幹細胞)を活用した研究や試験の方が以前から行われており進んでいると言われているそうです。一方で、その名の通り「人工」であるiPS細胞に比べて、ES細胞の樹立には、受精卵ないし受精卵より発生が進んだ胚盤胞までの段階の初期胚が必要となるため、生命の萌芽を滅失してしまうために倫理的に問題があるのではないか、といった議論を呼んでいます。

※その詳細な違いには触れません(と言うか知識的に触れられません)が、両者の説明をWikipediaより引用のみしておきます
iPS細胞(人工多能性幹細胞)
ES細胞(胚性幹細胞)

このような違いはあれ、双方ともにその研究の「目的」は、より良い治療方法の確立や画期的な創薬によって、医療のアウトカムを変えることにあるのだと思います。この時に、「目的」というのはどれほど優先されるべきなのでしょうか(言い換えると、手段はどれほど選ばないといけないのでしょうか)

倫理も絡む領域で非常に難しく、私にも答えはないのですが、米国と日本のES細胞を活用した再生医療に対する考え方や実績の違いを見てみたいと思います。

■目的に向けて爆走する米国

米国では、2010年10月に、世界で初のES細胞を活用した再生医療の臨床試験が開始されました。主体はジェロンという米国のバイオベンチャーです。翌月2010年11月には、立て続けに、同じく米国のバイオベンチャーのアドバンスド・セル・テクノロジーによる眼病に対する網膜細胞再生医療の臨床試験が開始されています。

ES細胞、初の臨床試験開始 米で脊髄損傷の患者に
ES細胞臨床試験2例目

また、米国外でも臨床試験の準備が着々と進められています。これもアドバンスト・セル・テクノロジーによる英国での試験です。さらに、昨年の段階でこのような報道もあり、次は韓国ではないかというようなことも言われているようです。

「ES細胞の臨床試験、英も認可…米に次ぎ2国」
韓国でもES細胞ヒト臨床試験へ

理化学研究所で網膜再生医療研究をされている高橋政代先生(@masayomasayo)も次のようにつぶやいていらっしゃいます。ACTというのはアドバンスト・セル・テクノロジーのことです。
ACTは韓国にライセンス売ってるので、ESの網膜治療、次は韓国だろう。治験のしやすさが日本と格段に違う。@Macky5277 韓国政府が67億円を幹細胞研究に投資「幹細胞強国に」=韓国 http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2011&d=0921&f=national_0921_044.shtml via @searchinanews

当然ながら日本以外の各国でもES細胞の是非に関する議論は行われていると思いますが、よりプラクティカルに、どちらかと言うと目的が優先されているのではないかと推察できます。

また、『ヒトiPS細胞研究はどこまで来たか 八代嘉美』によると、研究としての進捗(と言うか活性度)も米国と日本では徐々に開きが出てきているようです。
2006年当時、公的に登録されていたアメリカのES細胞の株数は65株、日本では3株であったのに対し、2011年にはアメリカは89、日本は5とその差を引き離されている。

また、論文数でも米国が大きく日本をリードしている現状があるようです。下記は『iPS細胞 世紀の発見が医療を変える』からの抜粋です。
2006年に学術誌がまとめたヒトES細胞の研究動向調査では、その時点の日本発の研究論文は、通算5本で世界の1%程度でしかなかった。(中略)アメリカは125本、イスラエル42本、イギリス30本と続き、韓国(27本)や中国(18本)といったアジアの国々にも及ばなかった。


■水をあけられる日本
目的に向けて爆走する米国に、水を開けられているのが日本です。ランダムですが、そこには幾つかの問題点がありそうです。

①事業化基盤の問題
日本では、アカデミアのシーズが事業化につながりにくい問題がありそうです。上で引用させていただいた理化学研究所高橋政代先生のつぶやきに下記のようなものがあります。
研究者の私がマーケットなんて言う理由は、ESから網膜色素上皮細胞ができてこういう治療に使えますよと初めて示し、何百回と講演しお願いしても日本の企業は動かず、結局米のACTが世界を抑えようとしている。結局自分で動かなくちゃだめなんだと分かったのでベンチャーを作った。←今ここ

これは以前のエントリーでも触れたことですが、シーズの実用化の方向性や有用性を示すことができているのに、企業が動いてくれないので自ら事業化を進めるということのようです。企業が動かないことが問題なのか、アカデミアなりR&Dベンチャーが自ら事業化を進めにくいことが問題なのか、両方あるかとは思うのですが。。

②手段の一極集中の問題
報道も資金も制度も、iPS細胞研究の方に偏りすぎているという状況があるようです。

以下、京都大学の細胞-物質統合拠点(iCeMS)でイノベーションマネジメントを研究されている仙石慎太郎先生(@ssengoku)のつぶやきです。どうも、技術としての有効性や効用よりも、新規性等からくる「名」や「話題性」に偏る傾向があるのではないかということだと思います。
(承前)「世界はESだが日本はiPS細胞に集中」といったおめでたい意見が多いが、いずれもヒト多能性幹細胞で大同小異。イノベーションの推進力は技術機会の多様性市場の占有可能性。ES細胞という最有力の技術機会を早々に放棄し、かつ臨床研究開発市場で劣位となった国に勝ち目は無い。
(承前)日本の為すべきは「世界で始めてヒトiPS細胞で患者を治療」するという「名」の追求と割り切るのも一策だが、画期的技術の経常利益化=イノベーションという「実」を実質上放棄することへの説明と国民的理解が必要。こと先端医療イノベーション分野で、決して米英をなめてはいけない。

③制度の問題(後手の対応)
何度も引用をしてしつこいのですが、高橋先生のつぶやきです。倫理等が絡んだ場合の日本の制度面での遅れ(一度こうと決まると状況が変われどなかなか変わらない)が挙げられています。
治療に名の追及なんかいらない。世界最良だけ。ESを使ってはいけないとか、アイバンク提供眼も使ってはいけないとか、日本の研究者はいろんな妨害にもめげず世界最良を目指しています。最終的に効果があり普及タイプになるのはどの治療かという戦い。であることは再生医療開発者はわかっている。
米で成体神経幹細胞での脊髄損傷治療、英でES由来網膜色素上皮細胞でのスターガルト病治療開始のニュース。日本にも技術はあるけど、制度がありません。ES細胞を臨床に使えないし、網膜の成体幹細胞移植治療も欧米では計画中ですが日本は提供眼を角膜移植以外に使ってはいけないという法律がある。

上述の『ヒトiPS細胞研究はどこまで来たか 八代嘉美』にも、このような記載があります。
わが国では2001年の「ヒトES細胞の樹立及び使用に関する指針」 を制定する際の議論などをはじめ、政府の過剰な関与が日本国内の幹細胞研究を遅らせているとの指摘があった。


他にもあるのかもしれませんが、ES細胞を活用した再生医療の進展の差にはこのような要因が背景にあるようです。そこには目的と手段に対する大きな考え方の違いがありそうです。

本エントリーのタイトルとした「目的を優先すべきか、手段は選ぶべきか」に対する答えは、「目的を優先すべき、その目的に応じて手段は選ぶべき」なのだろうと思います。今の再生医療の現状をざっと眺めてみると、(あくまでも素人の戯言ですが)目的と手段に分断が起こっているように感じます。